【映画】「この世界の片隅に」自分も映画の片隅にいるような感覚
せっかくのブログなので、観た映画について、ちょろちょろと感想を書いていこうと思います。拙い内容ですが、よろしくです!
「この世界の片隅に」
映画雑誌、キネマ旬報のランキングトップになったことで、それまで以上に知名度の上がった「この正解の片隅に」。同作は、年末に観たのだけど、今でもずーんと余韻が続いている感覚だ。ずーんずーん。内容はネタバレになるといけないからあまり書かないけど、簡単に言うと、戦時下の呉で苦しいながらも一生懸命生きる少女のお話。生活にもっとも焦点をあてつつも、ハテナが浮かぶ謎なシーンも多い映画だが、とにかく心に残る。
戦争ものの映画ってけっこうあるけれど、それらとは異質な作品だと思う。あえて戦争ものっていう雰囲気を出したくないんだなあという感じが伝わってくる。主人公の「すず」というちょっとドジな少女と同じ目線で、戦時の大変さを味わえるように工夫されているみたいだ。
あと最大の特徴は、流行の言葉でいうところの「ゆるい」感じのタッチの絵だ。悲惨な場面も、そういうゆるいタッチで描いてあるのがかえって印象に残る。全体的に、そういうギャップが面白いのかもしれない。
ずらっと並ぶ名前が感動もの
本編もさることながら、エンディングのあとに個人名がずらりと並んで書かれているのが圧巻だ。これは、クラウドファンディングで協力金を払った人たちの名前。ずらっーーーーーと永遠に続くんじゃないかというくらい、流れる。僕は映画の内容以上に、その名前の多さに感動した。これだけの一般の人に支えられて映画ってこれまであったのかなと思わされた。まさしく新時代の映画だろうね。
協力金を払った人は、払っていない人よりも思い入れがだいぶ強いはず。そんな彼らが、またその友人や知人に強く勧めることで、さらにファンが増えて行く。こうやって口コミがどんどん広がっていって、ファンが増え続けたことだろう。
大手の配給会社が莫大な宣伝費を使って広める映画とは違って、庶民目線のすばらしい仕組みだ。テレビや新聞みたいな上から庶民に情報を降り注ぐマスコミとは違って、庶民が支えてミニコミ的にこういう作品を成立させていくって、本当に今どきな感じでいいね!これなら、僕もいつか、映画を作ることができるかもな!笑
平和ってこうやってつくるものかな
反戦メッセージの良い映画はたくさんあるけど、上に書いたように市民がお金を出す事で成立したって言うのが深い意味がある気がするよ。
押し付けられるような平和や反戦メッセージって、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまいたくなるけど、こういう庶民からじわじわ広がって行くようなメッセージって本当に大事だと思う。草の根運動ってやつに似ているのかな。
何を信じたら良いのかよくわからない世の中だけど、「この世界の片隅に」みたいに強いメッセージを隠し持った作品に、もっともっと触れて行きたいと思う。
マクドナルドなんて大好きだ!!!
冷静に考えると、ぞっとする見た目の食べ物を出すあの店。油ぎとぎとのポテトや、人口色の怪しい紙に包まれたハンバーガー、どろっとした添加物まみれのソースにつけて食べるナゲット。考えるだけで、本当に体に悪そうだ。
これはマクドナルドに対する、私の印象だ。実におぞましい。あんなもの、なるべく食べない方がいいに決まってる。
でも、結論からいうと、私はマクドナルドのことが好きみたいだ。週に何度も通ってしまう。。。なんて、おろかな。
でも、あのハンバーガーを食べることは月に1、2度くらいかな。食べたら大体の場合に、気分が悪くなり、体もだるくなって動きが鈍くなる(気がする)。でも、つい食べたくなってしまうというアホな性格なようで、気がついたら頼んでしまっている。
基本的に僕にとって、マクドナルドとは、作業スペースだな。100円とかのコーヒーと、パイなどのちょっとしたお菓子を買ってどーんと席に座る。まわりは若い人ばかりだけど、自分もまだ若いので、まあ落ち着いたりする。少し騒がしいのも、嫌いじゃない。
ドトールとかスタバとかも良いのだけれど、値段というより雰囲気がちょっと合わない。安いチェーンなのに、背伸びしている感じの内装やスタッフさんの対応が自分には合わないのかな。どうせ安いチェーンならば、マクドナルドぐらいの騒がしい感じがちょうどいい。
あの手のカフェに行くくらいなら、ちょっとリッチな雰囲気の喫茶店の方が好きだな。きりりと、した気持ちになって、頭もきりりとする気がするんだ。
と話はそれまくり、意味もないようなブログ内容だが、カフェのことをたくさん書いたのはこういうこと。マクドナルドはカフェだ!と私は思っているということだ。
あれはハンバーガー屋と思わない方が気持ちがいい。あそこはハンバーガーも出す、カフェなんだろうな。そう思ったら、もっと好きになった。
それにしても、本当に意味の無い内容すぎてかなしくなってきた。こんなものを書く事に時間を使うなんてなあ。なんで書き始めたのかも忘れてしまったけど、まあいいか。
BMWに乗りたい!!!けど、、、
いつか、大きなBMWに乗りたい。時間があったらつい磨きたくなるような、透明感があって輝く白色のBMW。ご近所さんから「いい車ですね」と言われて、それほどのものではないよと、えへへと笑ってみたい。
こういう気持ちってずっとある。別にBMWで無くてもいいんだけど、そういう裕福な暮らしの象徴みたいなものを持っていたいと思う。
今の会社になんとかしてしがみ付いていけば、いつかはそういう車も、マイホームも持てるとは思う。でも、正直に言ってこの仕事が自分にあっているとも思えなかったりする。つまり、しがみつくのは、けっこう自分にとって大変なことだと思う。
そういう問題以外にも、他にやってみたい仕事というか、かなえてみたい夢が山ほどあるので、今の会社に定年までということはあり得ないと思ってる。でもそのやってみたいという夢が明確に定まっている訳でもない。
一番の理想を言うと、好きでたまらない事を仕事にして、それで高収入を得るということ。でも、こんなん理想論。というか、本当に才能があって運もあってという人しかそんなことは成し遂げられないのだろうな。
つまり、自分のなかで折り合いをつけないといけないということだろうね。収入はいいけど本当は嫌いだと感じている仕事を、努力して少し好きになってみる。もしくは、収入は低くていつもお金に困るような生活になってしまうかもしれないけど、好きな事をやってみる。どっちにしても、悔いなく生きるという観点では、ある程度リスクがあることだよね。
こんなことばかり考えていても何にも得をしないということは分かっているけど、考えてしまう。そして、判断が難しい。
天秤にかけられるようなものではないけど、自分なりの天秤にかけてじっくり考えないといけないのかな。時に任せるとか、運に任せるとかいうこともできるけど、それだったら結局は自分で決めていないので後悔が残ることになる。
俺は本当にBMWに乗りたいのか。俺は本当に別の夢を目指したいのか。あと少し、考えてみたいと思う。
自分で決める。
年が明けて10日が経った。これって早いとみるか、遅いとみるか。
ここ最近は時間があると、過去の自分の後悔について考えていた。前回のブログで書いたような、当時の恋のことがずっと頭の中でぐるぐると回り続けていた。自分でもどうしようもない感情。その正体ってなんなんだろう。
実際に恋がどうたらというより、過去の自分に対して憐れだと感じているのかもしれない。はっきりと答えを出すべきところで、答えを出せなかった。当時の楽しかった状況を心地よくて、挑戦することを拒否していた。その時の短い感情でいえば、そのやりかたも間違えではなかった。だが、長期的にいえば大きな間違いを犯していた。
思えばその後、私の人生は答えを先延ばしにすることばかりだった。恋に限らず、自分の進路のことや、就職のことも含めて。どっちかを手に入れるか決めないといけないのに、それを怠った。そして結果的には、どちらも逃すというようなことが多かったように感じる。
なんで、ああしなかったのかと思うことは多いが、その状況にいた自分にそんなことができたのだろうか。そう考えると、たぶんできなかったように感じる。いつも決められないで逃げていた。
先延ばしにしたらそのときは楽かもしれないが、結局は自分が損するのだということを、今回の一件で身をもって感じる事ができた。そんなこと分かりきってるつもりだったが、いつも逃げてしまっていた。実際にはまったく分かっていなかったのだと感じる。
後悔をするというのは恐ろしいことだ。ずっとその後悔に取り付かれてしまう。その後悔をそもそも生み出さなくするようにしないといけないんだね。本当に自分のまわりにはくだらない後悔が多すぎる。
今の自分はどうなのか。答えを出すことから逃げてはいないか。そう、自分に問いかけてみようと思ったが、そんなこと言うまでもなく逃げているんだろうな。将来やりたいことはいろいろあると言いながら、それに踏み出していないもんな。もう後悔はしたくないので、今回は自分で決めるぞ。
蘇る、あの頃の夢とあの子のこと
年末年始は子どもの頃からの友人達と会うことで、楽しい時間を過ごしつつも、つい考えこんでしまっていた。もう脳みその路地裏に追いやられていたような記憶がだんだんと復活するに従って、取り返す事のできないような後悔が次々と起こってきた。
思い出した後悔は、仕事のことと恋愛のこと。まず仕事のこととは、自分が中高生の頃に本当に就きたかった職業があったことを思い出してしまったことだ。ずっと忘れていたのだが、あの頃は本当にその職業になりたかった。あまりにも特殊で変わった仕事なのでここに書くのははばかられるが、当時は真剣に考えていた。しかし、思春期でかつまわりの顔色を気にすることに精を出していた私は(恥ずかしい事だが)、それを目指すことで変な評判が経つのではないか、なんとなくかっこう悪いと思われるのではないか、と考えてしまって諦めてしまった。
今考えると恥ずかしい限り。でも、当時はまわりの人にどう思われるかが一番大事だったんだろう。本心は誰にも言いだせないまま、その道を諦めた。そして、なんとなく大学に行って、なんとなく就活をし、今の仕事についている。今の会社も簡単に入れるようなところではないのだが、そこまで気持ちは強くなかった気がする。だから、入社してからまだ何年かだが、もうしんどいし、これ以上の努力をしようとも思えないし、転職したいとさえ考えるのだと思う。
これってなんなんだろうな。やっぱり、自分の本心を押し殺したらいけないということなのかな。「お前は何をしたいんだ?」って言ってくれる人たちがいるけど、本当にこの一言に尽きるのだと思う。私は、仕事とは、ただ飯を食うためだけにするものではないと思っている。自分の目指すものがあって、そこに向かって仕事をしないといけないと思う。でもその目指すものが明確でないと、中途半端な事になってしまうことは分かりきっていたよね。自分は何をしたいんだ? この答えをあと数年のうちに見つけて、それが見つかれば今の仕事を辞めてでも追いかけたいと思う。
そして、恋愛のことも。高校生の頃、ずっと気になっていた女の子がいた。というより、本気で好きだった。屈託の無い笑顔と、独特のユーモアがあるその子に、完全にほれていた。ずっとその子のことを考えていた。そして、その子も私のことが好きだということは、人づてに聞いていたので知っていた。二人で、「好きだよ」と言い合ったことは無かったけど、お互いにそんな気持ちは分かり合っていた。
でも、その子とお付き合いする事はなかった。なんでなんだろう。これも単なる気恥ずかしさから来るものだろうか。それとも、お互いに好きだという事が分かり合っていたし、その関係が崩れることが怖かったのだろうか。自分でもよく分からない。でも、私には当時、本気で付き合う気持ちはまったくなかったように思う。
二人の楽しい時間は続いたが、付き合ってはいなかったので、いつの間にか、なぜだか疎遠になっていった。私に、本当の彼女というものができたのも原因か。本当の彼女という人のことを私は本気で好きだったし、愛し合っていたと思う。だけど、例の子のことはずっと心の中では好きだったと思う。
こんな文章を書いていると、ただの浮気性の人みたいに思えるかもしれないが、そんなたいそうなもんではないと思う。心の中にいる、ずっと大切な人って言うのは、いてもいいのだと思う。今はたぶん好きではない。それならありだよね。
だが、当時好きだったんなら、好きって言って付き合っておくべきだった。今になればそう思う。自分の気持ちを隠してもなにも得はしない。得どころか、後悔することばかりだ。上記の仕事の話もそうだが、自分の気持ちに嘘をついていてはダメな人間になってしまうということを痛い程思う事ができた、年末年始だった。
取り返しがつかない事もあるけど、これから築いて行く未来の方がよっぽど面白い。これからは気持ちに正直に、まっすぐに生きて行きたい。
そんなに生み出せやしませんよ
年末に大阪シリーズというのをやっていたんですが、それが途切れていることを思い出した。忘れていた訳ではないけど、、、いや、ただ忘れていただけです。
さて、大阪シリーズ第3弾!あまり大阪とは関係ないけど、大阪である展覧会を見に行ったので、そのお話を。そう、下にリンクを貼ったこち亀展に言ったのです。これ、今月9日までやっているみたいですよ!
以前のブログで書いた事もあるけど、昔からこち亀が好きでね。展覧会があっていることを友人に聞いたので、心斎橋の大丸に足を運びました。
私が百貨店に行く事なんて滅多にないので、ほんのちょっと気まずい思いをしながら化粧品売り場を通り抜けて、会場へ。いやあ、面白かったね。マンガの原画っていうのかな、そういうのがたくさん展示されていたり、両さんや中川など主要メンバーのキャラが分かるようなエピソードを集めたコーナーや、たまにあるジーンとくるような話が改めて解説されたりしていた。
正直そんなに立派な展示ではないんだけど(笑)、原作者の秋本先生がどんな風に描いているのかということが想像できて面白かった。
もともと両さんが単純に好きだったんだけど、こうして40年間連載をしてきた様子を振り返ると、秋本先生って本当にすごいなと思った。しかも、単行本200冊だよ。本当に途方も無い苦労があったんだろうな。
しかも何かをこなすような仕事ではなく、一から何かを生み出すという作業をずっとやりつづけてきたことに頭が下がる。へぇっていう話題と、ハチャメチャでおもろい話、人情味のある話と、よくあんなに思い浮かんだもんだ。本当にすごい。
僕はまだ20代のペーペーだけど、彼のように、何かを何十年にも渡ってやり続けたい。そう思ったのだった。まだ何をやろうかということも定まってないダメな僕だけど、頑張ろうと思います。では。
お正月って短くないですか?
単純に思うのですが、お正月って短すぎる気がする。。。31日に大掃除して、夜中にカウントダウン、1日に家でぐうたらして、2日に初売りか初詣にでも行ったら、3日にはもUターンして、4日から仕事って感じの人多いと思うんやけど。これって、なかなか、ハードじゃないですか? まあ、もちろんこんなカレンダー通りの人ってそんなに多くないんだろうなと思うと、切なすぎてもう涙が出そうだけどね。
と、こういう文章を書いているのも、その切なさでどうかなりそうだから。もっと、もんびりと正月気分を味わいたいなあ!という気持ちが体中からあふれているのであります。でも、これが現代社会というものなのかなあ。
電通のまつりさん問題で、過労死については激しく言われ始めて、これはとても良い傾向だと思うんだけど、それに加えてもっとリフレッシュするための長期休みを増やそうという流れになってくれたら良いと思う。
最近は、ロイヤルホストや、すかいらーくなどのファミレスが深夜営業をやめると言い始めたり、百貨店の伊勢丹が初売り商戦の時期を見直すと言い始めたり、とても良い傾向が進んでいるよね。これもいいきっかけ。
単純に深夜営業が儲からなくなっているのかもしれないけど、こうやって店はいつも空いているのが当たり前ではないのだよという雰囲気が高まれば、正月や盆休みも昔みたいにもっと長くする事ができるようになるのかもしれないな。
またまたぐだぐだすぎる文章になってしまって、反省の嵐なのですが、要するにもっと休みが多くていいんじゃないかなと思うんよね。僕の会社は休み事は悪だみたいな風潮が割と残っているからもう目も当てられないんやけど、それでも自分は休めるときはどうどうと休むようにするなど、ゆとり世代パワーを存分に発揮する事で会社にアピールして行かないといけないなと思う。
人間らしく。頑張るときは頑張って、それ以外はゆるゆると。そういう風に生きて行きたいものだ。