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これからは、しなやかに生きる

会社員むっきーのブログ。仕事で心身ともに駄目になりかけたことも。これからはしなやかに、人生の目標に向かって生きて行きます。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

アメリカ人的な明るさっていいよねー

 最近よく感じることというか、まあ当たり前のことなんだけど、明るく振る舞うっていうのはいいことだよね。近ごろアメリカ人など欧米人と接することが多いのでそう思うのかもしれないが、本音はどうであっても明るく話していると、世の中全体が元気になるような気がする。

 

 彼らは初めて会った人とでも昔からの友人のように明るく話す事が多いように感じるし、店員さんとかもダルそうにしながらも馴れ馴れしく接したり、とにかく表情豊かな笑顔をつくることを大切にしているように感じるんよなあ。

 

 とにかく、大きな声で。いつも笑顔で。知らない人とも世間話を交わす。こういうのがアメリカの文化的にそういうものがあると思うけど、めちゃくちゃ大事だなあと思う。日本人もそういうことをしない訳ではないけど、アメリカ人に比べて、身内の人か知らない人かを意識しすぎていて人によって接し方が大幅に変わってしまう気がするんよなあ。そういう過程で、暗いという訳ではないけど、ぎこちなくなってしまうというか。。。

 

 いや、でも、こうやって人種で分類したりするのはダメなことだな。そうではなくてここで書きたいことは、僕自身は、僕が分類した典型的な日本人だなと感じているということ。

 

 根は明るい方だとは思っているけど、人と接するときに変なバリアーを貼ってしまって明るく振る舞えないときがけっこうある。特に初めてある人間とは。でもそういうのって、印象的にはそんなによくないだろうし、相手と仲良くなれるチャンスを失ってしまうような気がしてしまうんよね。

 

 日頃からそういうところを変えていかんとなあと思う。アメリカ人的な明るさをイメージして、大きな声で笑顔で気軽に話しかける。そういうのを自分なりのスタイルでしたら、いろいろもっとうまくいくような気がする。

 

 なんとなくでいいから、そういうのを目指していこうっと。

自然に出た「楽しいか?」の言葉

 ある店にいたときのこと。トイレを済ませて、手を洗おうと洗面台に向かった。すると、流しの部分には小バエが止まっているのがわかった。なんとなく、そのハエに水があたるように手を洗った。水は彼の上に直撃し、気がつくと彼の姿はなくなっていた。

 

 無意識に、こんなくだらない意地悪をしてハエを殺してしまったのか。それとも、自分の意思で殺そうと思ってやったのか。そもそもハエごときかまどうしたとか考える必要もないか。よくわからないが、一瞬でそんなことが頭の中をぐるぐると回った。

 

 そして、僕の口から言葉が出た。「楽しいか?」。まわりには誰もいない。自分だけに響く言葉。発したのも自分、聞いたのも自分。でも、どこからともなく降って来た言葉のように感じた。

 

 無意識で弱い者ををいじめて楽しいのか。俺は何をやっているんだ。

 

 さらに、その枠を超えて、どこからか「こんな人生で楽しいのか」という言葉まで聞こえそうな気がしてしまった。こんな日々で楽しいのか。何かに必死になることなく生きていて楽しいのか。そりゃ、生きる事だけでも必死だけど、せっかく生かされているんだから自分の役割がなにかあるはずだよ。そんなことまで考えてまった。

 

 ハエの人生がなんのためにあるのなんて分からない。というより、そもそも人でもないから人生ではないのかな。じゃあ、僕の人生はなんのためにあるのか。そんなことも、正直わかんないよね。でも、何かしらの意味がありたいと思うから、必死に生きるわけだよね。

 

 でも、人間は動物とは違う。話す事もできれば、考える事もできる。世にまかせて生きるだけではなく、自分たちである程度のことは変えることができる。と、いうことは、少しでも良い世の中になるように、まあそこまで言わなくても少しでも自分の人生が豊かになるように常に努力していかないといけないよね。

 

 こんな事ばかり考えるなんて疲れているのかな。でも、考え続けないと。

自分のことを語る事が苦手です

 僕は自分のことを話すのが苦手なようです。自分ではあまり自覚していなかったのだが、これってとっても損をすることだな。

 

 先日も大学時代の先輩と飲んでいたときに、「お前は何を考えているかよくわからなかったな。話していても、適当に受け流すような気がしたし」と言われた。別に仲の悪い先輩だったと言う訳ではないので驚いた。なんでそう思ったのかを聞いたが、どうもいつも話から逃げているように感じたという。そんな自覚はないのだけど、そう言われたら思い当たる節がないでもない。

 

 以前会社の上司からも、「いつも猫かぶりやがって。お前は何がやりたいんだ」というようなことを言われた。上司にはなるべく逆らわないようにはしていたけど、猫かぶってるつもりはなかったんだけどなあ。それに、そもそもそんなに勤務態度も良い方ではないので、どういう意味なのかあまり分からない。こういうことを、同級生というか友達から言われたことはないので、おそらく先輩とかに対してだけなのか。

 

 さあ、困った。じゃあ僕はどうすれば良いのか。自分の思った事を何でも言ってしまえばいいのか。いや、昔思ったことをなんでも言って面倒くさがられて失敗したことがたくさんあるから、なるべく話さなくなったという側面もある気がする。

 

 まあ、思った事といっても、言っていい事と悪い事がある。そこをうまいこと言えば良いという話なんだろうけど、そういうことを綺麗に振り分けられる自信もない。でもバランスというもんがあるはずなので、そこら辺は努力でなんとかなるはずなんだろうとなとも思う。

 

 ここまで書いて、なんだかいろいろ思い出して来た。確かに、多くの人の輪の中で話すのはそんなに得意ではない気がする。自分から話しだすのも、得意な方ではない。それに仲がいい人意外には、少しおびえたり構えたりしながら話していたよな気がする。そういうこっちの心理状態が相手に伝わっているということなのかな。

 

 すなはち、どんな相手でも、ずっと仲良かった友達なんだと自分に言い聞かせて、話せば良いという訳かな。それでかつ、恥ずかしがらずに自分を出して堂々と話すとか。そうしたら、仲良くなれてかつ、おもろいやつだと印象深く思われるかもしれないし。

 

 ここまで書いたら、めちゃくちゃコミュ障みたいな感じだけど、実生活ではそんなにいうほど苦労した事もないので不思議だ。中学高校でも部活でも、大学、会社でもそれなりにやってくることはできた。。。でも。やはり、何かが足りないんだろうな。

 

 よく分からないけれど、「何を考えているかわからんやつ」と思われるということは、要するにお前とは仲良くなれそうにないと言われているようなもんなのだと思う。それだと、非常に損だよね。もっと自分はこんな人間なんだよーっと相手に分かってもらえるようなコツを掴んで行きたいなあと思う。

突然死んでからは、後悔もできないね

 若くして突然死ぬってどれだけ無念なんだろ... 死について考えてみることはあるけれど、実際にまだ20代後半の自分が突然死ぬ事なんて想像もできない。それに想像したくもない。もっと言うと、まだまだ死にたくない。

 

 こんなことを考えているのも、アイドルグループ、私立恵比寿中学松野莉奈さんが18歳で突然亡くなったというニュースを聞いたからだ。この方のことは知らなかったのだが、訃報を聞いて涙が出るくらいのショックを受けた。テレビで触れる死としては、電通の高橋まつりさん以来のショックだ。

 

 なんでだろう。知らない人なのに、こんな気持ちになるのは。18歳だからなのか。かわいいからなのか。アイドルだからなのか。恐らく、でっかくて照れくさくなるような夢を一生懸命追いかけている同じ若者として、こういう気持ちになっているような気がする。

 

 この方はアイドルだからニュースになったけれど、無名で若くして亡くなる人なんてけっこうな数いるのだと思う。実際に知り合いでもいるし。それに、内戦の混乱がある国では今も多くの人が亡くなっている。日本でも、大戦中は多くの若者が戦地で死んだ。そういうことを思ったら、この松野さんが特別ではない。でも、若くして死ぬって本当に悲しいことだ。

 

 僕には、やりたいことが無数にある。どんな風な人間になりたいという夢もある。でも、時がくればとか、本当にやるべきなんだとうかとかモジモジと考えてしまい、踏み出せないでもいる。しかし、人はいつ死ぬか分からない。明日死ぬかもしれない。これは、子どもの頃から知っているはずだけど、普通に生活していると頭の片隅に追いやられてしまう事実。いつ死ぬか分からないから、やりたいことはすぐにやらないといけないんだよね。

 

 そういうことを、松野さんの死を受けて再認識することができた。

 

 人生、後悔はしたくない。やりたいことをできないまま、というか挑戦しないまま死んだとしたら、それはとてつもない後悔になりそうだよね。まあ、死んだら後悔も何もないのかもしれないけど。

 

 なんだかとっても青臭いことを書いてて気恥ずかしくなってきた。でもそんな感情も関係ないくらい、松野さんという人の死にはっとさせられた。後悔せぬよう、全力で生きるぞ。だらだら過ぎて行く日々にはおさらばしなくては。

「本当に仕事楽しいっす」って言えるなんて

 先週末の夕方。某有名ショッピングビルの中にいた。普段一人ではなかなか来ることのないところだ。そんなところになぜ足を運んだのかというと、その日の朝いつも通りの格好をした自分を鏡で見て、なんという暑苦しいファッションなんだと感じてしまったからだ。

 

 つい最近までは、自分では好きな格好だった。でも、この時はどう見ても合わない気がした。まるでクリスマスのころのファッションみたいで、もう合わないだろうと思えたので。だが同時にそのとき気がついた。自分の中ではもう冬は開けてきたようだと。

 

 まだまだ寒いけど、歩くと体がぽかぽかする日もある。一見するとまだまだ冬だが、自分のなかの感覚ではもう春が近づいて来たんだ。でも鏡を見て、春が近づいてきたことを感じたことは初めてだ。なんだか新鮮でいい気分。

 

 話を戻す。そういう経緯があって、春の服を求めてショッピングビルに来た。はじめはただぶらぶら服を見ながら歩いていたが、ある店の前で店員の若い兄ちゃんが声をかけてきた。「どんなのを探してるんすか? いま何でも半額なんでめっちゃ安いっすよ!」。ちょっと高めの声で、異常に元気な彼。ちょっと面倒くさいと思いつつも、春めいた明るい服を探していると答えると、嬉しそうにおすすめの服を教えてくれた。

 

 どうしても、自分の探していたような服ではない。でも、最近は身も心もリニューアルしたいと思っていたし、せっかくだから話しを聞いてみることにした。

 

 彼が教えてくれる服はどれもこれも、派手というか、ちゃらいというか、自分では選ばないような物ばかりだ。そんな新鮮な服を驚きの目で眺めていたら、彼が高い声で話し始めた。「いやあ、本当にアパレルの仕事って楽しいんすよ。いっぱいお話しできるし、ずっと働きたいっす」と。何の脈絡もなかったが、そう言っている彼の顔は輝いていた。あれは、嘘や無理して言っているような言葉ではなかった。そもそも嘘をつく必要もないだろうし。

 

 自分も今の仕事を始めたばかりはそう思う事がないでもなかった。だが現状を知ってくるにしたがって、楽しいという気持ちよりも大変でつらいという気持ちが勝っていった。たぶん彼も大変なことはたくさんあるはずだ。でも、あんなに目を輝かせながら楽しいと言えるのは本当になかなかできないことだ。

 

 そんなことを考えていた僕に彼が話しかけて来た。「お客さん、迷っているんなら買うべきっすよ!!!」。どうやら考え事をしてしまっていた僕のことを、迷っていると思ったようだった。彼の顔を見ると、やっぱり目がキラキラしていた。

 

 薦められた服を何点か着てみた。どう考えても今までの自分だったら買わなかった服だ。でも、実際にとてもおしゃれだと感じたし、こんなの着てみたいとも思ったので、つい2点買ってしまった。うん。もう少し暖かくなって、着られる時が来るのが楽しみだ。

 

 ちょっといい気分で家路についた。僕も「本当に仕事楽しいっす」って言いたい。そう思った。そう思えるかどうかは、自分次第なんだろうな。そして、いつも彼みたいにちょっとアホっぽくなったとしてもハイテンションでいたいよねと思った。

 

 あの兄ちゃんに感謝っす!とりあえず、ファッションという方面からも少しずつ変えてみようと思います!

僕は就活する時期を間違ったのか

 今日は昼間、ちょいと喫茶店に寄った。ガランとベルの音が鳴るか鳴らぬかは忘れたが、そういうイメージの扉を開けて入るタイプのチェーン店だ。空き時間とかにコーヒーを飲む事は多いが、貧乏性の僕がいつも立ち寄るのは大きなMの文字がかかったファストフード店。でも、なんだか今日は少しまともな店に入りたいような、ほんのちょっとフォーマルな気分だった。

 

 そういう店にいくと、周りの人をぐるりと見渡してしまう。人間観察が好みという訳ではないのだが、それが習慣のようなものになっている。

 

 さて見渡してみた。この店がたまたまだろうか。着慣れない真っ黒のスーツに身を包んだ、一目で就活生だと判断できるような人が多い気がした。もうそういう時期なのかな。自分の就活のころどうだったか思い描いてみるが、ぼんやりとかすんだ記憶しかない。今は6月解禁になったはずだから、インターンシップや説明会に行ってきた人たちなのかなと勝手に想像していた。

 

 斜め前の席では、黒スーツに身を包んだ3人組の男性が、愚痴のようにも希望のようにも取れるような会話を繰り返していた。ーーこういう業界に行きたい。でも、この業界には未来がない。どうすれば内定取れるか想像できない。そういう類の会話。聞きたくなくてもつい耳に入ってしまう。

 

 僕が席を立ってトイレに行くと、幅の狭い二人掛けの席に、こちらも就活生らしき女性が一人で座っていた。斜め上から目をやると、手のひらサイズの手帳に細いペンを使って小さい文字をたくさん書き込んでいる様子が分かった。真剣に書き込む表情からは、自分の道は自分で決めてやるぞという気概のようなものが感じ取れる。

 

 みんながそれぞれの将来のために、得体の知れない就活というものに取り組んでいる。なんとも不思議な光景だ。受験勉強にいそしむ学生さんへは微笑ましい気持ちになる私も、就活に取り組む彼らからは微笑ましさなどではなく、健闘を祈るというか、念を送りたくなるようなそんな気持ちになる。

 

 さて、そんな姿を見て自分の当時を考える。あのころの僕は、格好付けているのか怖がっているのか、「就活なんてくだらない」と友人たちと話していたような気がする。でも、就活をするという流れから外れて別の道を選ぶような決意もない僕は、就活解禁の日に大手の就活サイトに登録して、説明会にもせっせと通うような人間だった。自分の本当にやりたいことが何かなんて、わからないまま、突き進んでいたように思う。

 

 そんな気持ちで臨んだ就活だったが、なぜだか分からないが、なんとなく成功して、良い企業と言われるところに入る事ができて今にいたっている。でも。いや、だからこそ、いろいろな気持ちが残る。

 

 本当にあの時期に就活をして、会社員になる必要があったのか。もっと自分がしたいことをいろいろと考えるべきではなかったか。今の仕事は本当にしたい仕事たったのか。

 

 そういうことをしっかり考えなかった結果が、今の何も暗闇をさまよっているような僕を生み出したように思う。いや、僕のような人間は一度荒波に飲まれなければ、そのようなことも考えなかったかもしれない。そう言う意味では挑戦したこと自体は無駄ではなかったと言えるかもしれないが。

 

 就活をする時期は間違ったかもしれないが、やったこと自体は今の自分にとっては何だかんだいい結果を出しているのかしれないな。ということは、そんな就活がどうたらとか過去のことを振り返るのではなく、これからどうするかを考えるべきだよね。真剣にね。

 

 今の仕事をずっと続けるか。転職するか。夢見ていた起業をするか。それかもっとデカい夢だったことに挑戦するか。本当に数えきれないほどいろいろと選択肢はあるけれど、今回は自分でしっかりと考えて決めないといけないのだと思う。今回こそは、絶対に後悔しないように。

歯車なんかになりたくないけどさ...

 世の中で一番恐ろしい事って自分が社会に必要とされていないんじゃないかと感じることだと思う。僕も半ニート的生活をしていたことがあるのだが、社会との関わりは金を使うことや友達と会うことくらいしかなく、自分の役割ってなんなんだろうなと考えてしまうことが多くなる。自分って社会に必要とされていないのかな。そう考えてしまうこともある。

 

 社会がこうやってぐるぐる回って、いつもさまざまな物が生み出されたり、サービスが提供されたり、何かの研究が行われたり、物事が決定されたりしているということは、一人一人が小さな歯車となって世の中がなりたっているということ。そのなかでは、偉そうな政治家の先生も、優秀なビジネスマンも、八百屋のおじさんも、グラビアアイドルの巨乳美女も、みんな歯車の一員。誰が、偉いとか、偉くないとかそういうことは関係なくみんなで構成しているんだよね。

 

 でもね。その歯車の一員になりきれてないように見える人もいるということも事実。それがどういう人かは詳しく書くのはやめるけど、一見するとそういう歯車ではないような人々っているよね。その人たちには、本当にさまざまな事情があってそうなっているわけだ。

 

 しかし、その人たちは本当に歯車になりきれていないのか。必要とされていないのか。たぶん、違うと思う。それぞれ生まれて来た以上、なにかしらの役割を持っているはずなんよね。本人も気がついていないかもしれないけど、必ず何かあるはず。だから、どんな人間でも自信を持って生きていくべきだと思うんよなあ。

 

 色々書いたけど、なんでこんなことを考えているんだろう。自分でもよくわかないけど、ダメな自分をなっとくさせようとしているだけなのかもしれない。でも、強者になったと勘違いして、その歯車になりきれてなさそうな人を見下したりするような人間になるよりはマシなんじゃないかとも思う。

 

 考えても何も生まれないんだけど、どうしてもいろいろ考えてしまうんよな。まだまだ人生は長く続くと思うけど、人間とは何かとかいう面倒くさい事をずっと考えて生きていきたいものだよね。