強くはなれなくても豊かに生きる

むっきーのブログ。心身ともにバランスを崩して、いろいろ駄目になりかけちゃいました。これからはもっとしなやかに、もっとしたたかに生きていこうと、考え方を変革中です。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

将来設計なんていらない!

 年度が変わってからなんだかんだと忙しくて、ブログを更新できていませんでした。一日一回はなんでもいいから更新しようと始めたブログでしたが、時間が経つに従ってどんどん更新頻度が減ってしまっています。でも、更新することだけを義務的に感じて書いた文章なんて面白くないし、これでいいのかなとも思います。

 

 そもそも、実名では書けないようなことをここに書いていこうと思って作ったブログですが、あんまり際どい話を書けていないのは不徳の致すところです! 実名と肩書きを公表して書いたらそれなりに読まれるかもしれないけど、ペンネームでやる以上はとにかく内容を面白くしないといけないのだけど、そうでもないよね。。反省反省。いつか必ずリニューアルして、人の役に立つようなブログにしたいな。 でも、今はそんなパワーがないので、いつものペースで進めていこうかなと思います。

 

 さて、僕の人生観の変化について書こうかなー!僕はもともと、やたらと人生の将来設計をがっちりと考えたいような人間でした。何歳で何を卒業して何歳までに結婚して、何歳からはこういう職に就こうなどと言うことをやたらと考えてしまっていました。でも、考えてはいても、自分の考えているとおりに行った試しはありませんでした。大学受験も失敗したり、思い通りの免許が取れなかったり、就活も一回失敗したけど、そのあとめちゃくちゃいい会社に就職できたり、会社入ったらとても活躍できたり、逆にボロボロになったり、さらに平行線でわけわからなくなったり、、、そんなことをここまで繰り返してきてやっと気がついたんです。計画なんてうまくいくわけないと。

 

 人生なんて何が起きるかわからないから楽しいのに、やたらと考えすぎてしまっていた時点で今までは恐ろしく甘ちゃんでした。「大人たち」が当たり前のように話す、普通の人生というものを盲信してたんだろうなと思います。それほど、世間知らずだったし、自分の力で人生を切り開いていかないといけないということを知らなかった。

 

 もしくは、将来設計をしてみることで、現実に起きているものから逃避していたのかな。だから、その時やらないといけないことも本気で取り組まなかったり、うやむやりしたりしてきたのだと思う。その結果、いつも中途半端なんですよね。ああ、嫌な人生だ!

 

 やっとコテンパンに叩きのめされて、社会の隅っこの方に追いやられそうになったところでそんなことに気がつくことができました。その点では、これまでの過程には意味があったと思うので後悔はしていません。とにかく、今を一生懸命にかつ遊び心を持って生きること。これが大事だよね!

 

 僕の周りの人も若くして結構亡くなっているので、本当にいつ死ぬかなんてわからないってことを実感させられる。将来設計などというものに逃げないで、今をしっかりと大事に生きて生きます。

怖いものから、逃げたいだけ

 私の弱点はなんだろう。たぶん、怖がりだということだと思います。

 

 怖がりって言っても、犬が怖いとか、幽霊が怖いとか、プーチン大統領が怖いとかではありません。努力をしてみても自分の力では達成できないことがあるということが、怖いのです。

 

 いやちょっと違うかな、実は自分ではできないことに対して、できるように練習などの努力をすること自体が怖いのかもしれません。苦手と思い込んだら、どうしてもできなくなってしまう。逃げたらダメだとわかっていても、どうしてもできなかったりするんです。本当に弱いなと思います。

 

 小学校のとき、ドッジボールが苦手でした。苦手なら、練習すれば得意になるかもしれない。友達に相手になってもらって、投げたり取ったりする練習したことがありました。でも、あまりうまくいかない。そうなると、もういいやと諦めてしまい、練習すること自体から逃げてしまうようになって、結局上手になれないままでした。でもやらないといけない場面は多いので、一応加わるけど、なるべくボールを触らなくていいポジションばかりを探して逃げ回っているだけだったりしました。

 

 なんで、苦手なことを練習することが怖いんだろう。変なプライドのせいなのかな。失敗して笑われるのが怖いのかな。いや、でも、ずっとできないままの方が、何倍もカッコ悪いし怖いことだよね。あーあ。

 

 仕事でも、嫌なことから逃げてばっかりで全然上達せずに、うまくいかなくなって自滅したし、本当にどうしようもないなあ。こんな自分が嫌だなあ。

 

 ありのままの自分がいいよと言ってくれる人も多い。でも、こういう自分の弱いところをどうしてもよくしていきたいと思ってしまう。いやでも、そうは思っていても努力はしないんだけどね。しないというか、できないというか。

 

 努力できないで逃げてばかりの自分が嫌い。他の悪い部分はまあ目をつぶるにしても、この部分だけは絶対に改善したいな。改善というか、努力次第なんだけどさ。

 

 自分でも何書いてるんか、わっけわからん。

我が睡眠に安定を

  いま、とても眠いです。電車の中でずっとうとうとしています。このまま帰宅してすぐにベッドに入ったら、ぐっすり眠れることでしょう。と、思いはするのですが、いつもそんなに簡単に眠りにつけません。一種の不眠症というやつでしょうか。

 

  最近は寝付けないことは減っていますが、一番ひどい時は本当に全く眠れないこともよくありました。どんなに疲れて布団に入っても、何か気になってしまうと頭の中が堂々巡りを始めてしまい、なかなか眠りのモードに入らない。あ、眠らないといけないと思っても、また頭がフル稼働し始めてこと頭が休まろうとしない。そのまんま外が明るくなって、体がめちゃくちゃだるい気がするまま仕事に向かうということもありました。それが何日か続くことも。

 

  私はストレスというか精神的なものが図太くないので、気になることがあったり精神的なショックがあるとよくそうなってしまう。そして、また逆に、めちゃくちゃ深く眠ってしまって動けなくなるようなこともありました。仕事が忙しすぎて眠れないということもあるので、もう色々とぐちゃぐちゃです。もっともっと安定しないといけないよね。

 

  ちゃんと眠らないと頭も体もどんどん疲弊してしまう。あーあ、本当にそんな悪循環は嫌だ。まずは安定した睡眠を手に入れたい。

 

  まだまだ若造のこの私。睡眠という当たり前のようで意外と難しいテクニックをちゃんと身につけて、脳みその疲労もとってあげないといけないなあ。本当に最低条件な気がするね。それにそれができるようにならないと、今度は本気で潰れることになるかもしれない。それは本当に恐ろしいです。

 

  あーあ!!!

 

  本当に人間としての基礎の基礎から学び直していって、人生の再生を図ろうと思います!今回は逃げないぞー!

真夜中のマクドナルド

 真夜中のマクドナルドに行ったことはありますか。真夜中といっても、特に午前2時〜5時くらいの間。この時間ってなかなか闇が深い。

 

 先日の午前2時ごろ、都心にあるマクドナルドに行きました。終電を逃したので、パソコンを開いて書き物をしようかなというくらいの軽い気持ちでした。私は夕方から夜の早い時間に一杯のコーヒーと居場所を求めてマクドナルドに行くことはよくありますが、こんな真夜中に行くことはまずありません。

 

 店を入るといつもどおりのマクドナルドのカウンター。店員さんにいつも通り、ホットコーヒーSサイズを頼みました。それを受け取って客席があるフロアに入ると、お客さんがたくさんいることがパッと見てわかります。ですが、一瞬でその光景の異常さを感じました。おかしいです。話し声が全く聞こえないばかりか、みんな、顔がありません。

 

 いや、顔がないわけはないか。そうじゃなくて、みんな机に突っ伏して寝ているんです。たぶん30人くらい客がいたんですが、そのうち20人くらいが寝ています。まるで退屈な授業が繰り広げられている教室のような光景です。そして、ぷーんと嫌な匂いが漂ってきます。足の裏の臭いというか、なんなんだろうな。空気が明らかに淀んでいました。

 

 終電を逃して始発までの時間つぶしとしている人が多いのでしょうか。勤務時間が終わる時間の関係で逃した人、遊んでいて逃した人、そもそも寝場所として使っている人。様々な人がいるんだろうけど、本当に異様な空間だね。お金がある人は宿に泊まれるし、こういうところにはいないんだろうね。お金をあまり持っていない人や、過酷な勤務の人、遊び人たち、はたまた家のない人がここに集まって肩を寄せて時間を潰す。格差社会の象徴のように感じます。

 

 うーん。ネカフェ難民とかマクドナルド難民とか数年前は結構耳にすることがありましたが、最近はあまり聞かない気がします。でも、特に景気もよくなってるわけでもないし、そりゃあこういう光景が変わるわけないか。友人に話すと、けっこう知られた光景なんですね。私は初めて見たので、今回のことはけっこうショックでした。

 

 さて、ここで大事なのはそういう場所に入った時の自分の気持ちです。

 

 途中入ってきた女子大生風の女性が発した「うわっ、無理!!!」という言葉。彼女は逃げるようにこの場から立ち去りました。これは正直な気持ちかもしれません。でもそれを発したらそこにいるたくさんの人が何を感じるのでしょうか。僕も正直に言って、最初そう思いました。この人たちと同じと思われたくない、と思ったかもしれません。でも、差別は良くないと思っているので、気にしていないふりをしていました。

 

 しかし、今考えると私はけっこう無理をして、その場にいたように思います。自分は何も気にしていませんよというように。これって何ですか。これも、立派な差別ですよね。

 

 結局いい人ぶっている自分の方がよっぽど残酷なような気もしました。あーあ。偽善者偽善者と言われますが、僕が一番偽善者なのかなあ。かと言って、本心からその場のことを居心地がいいと思えないのも自然なことのように思えるし、本当に難しいね。

 

 いい人間になりたいって思ってもそれは難しい。そもそもいい人間の定義がわからないし。そんな事より、まずは人を見下さない人間になりたいと思います。 

お笑い文化習得への道!

 大阪、広く言えば関西って何でも笑いにするような文化がある。あれって本当に素敵だと思う。こういうことを言うと一部の大阪人が、みんなが面白い話ができるわけがないとか反論するけど、やっぱりどこか根っこではお笑いの文化があるんと思うんですね。

 

 まず、自虐ネタがうまい。自分の失敗を面白おかしく、堂々と話せるのって本当に素敵。恥ずかしいエピソードも、おいしいと感じて、面白い話に変えてしまう。いいよねえ。そうしたら、物事をそんなにくよくよとはしないだろうし、明るくなれるよね。僕も関西に住んだことがあるので、そう言うのを見習おうとするけど、完全にそうすることは難しかったりするんよね。やっぱり恥ずかしさとか、そう言うのが先行してしまって。でも、彼らは小さい頃から知らず知らずのうちにそう言う練習をし続けているから、するするとできるんですね。失敗を笑いに変えるって本当に大事だと思う!

 

 ツッコミ文化も好き。上の話とまあ近いっちゃ近いけど、相手の失敗とか恥ずかしいところとかにズバズバと突っ込んでいく。そうすると、自然と笑いが生まれて場が和む。いい話だねえ。

 

 オチをつける文化もそう。話にオチをつけることを半ば強制されるので、正直慣れないと辛いけど、面白い話をできるようになる練習にはなるんよね。やっぱり、話って面白くないとね。と、まあ、こんな面白くないブログを書いている僕が言うのもあれだけど、やっぱり面白くなりたいんよなあ。そう言う努力をしなければねえ。

 

 とまあ、ステレオタイプなお笑い文化の話を書いてきたので、不服に感じる方もいるかもとは思うのですが、本当に素晴らしいと思うのですよ。やっぱり、人生面白く行かないとね〜〜〜

 

 そう言うお笑い文化を完全に真似ることは難しいけど、少しでも習得できるように、日々気をつけて行こうっと。

 

 おっと、オチのないブログ記事になってました。すみませんでした〜

僕は道端の鳩だ。

 駅前のベンチに座って一休みをしていると、一羽の鳩が地面を滑るように僕の近くに寄ってきた。君は、人間に近づくと食べ物をもらえるかもしれないと知っているんだな、と僕はテレパシーで鳩に語りかけた。いやテレパシーはできないけど、そう思って見ていると、鳩は僕と目が合っていることに気がつきつつも、脈なしと見たようで他のベンチの方を目指して歩いて行った。

 

 鳩の脳みそで、どういうシチュエーションだったら食べ物にありつけるとか考えることってできるんだな。やっぱり食べるためにはそれくらいの嗅覚が働くということか。そんなことを考えてしまった。

 

 それよりは思考的な難易度は低そうな話としては、餌やり爺さんが現れるとパンくずの取り合いをするために鳩たちが群がることかな。あの鳩は餌を食ってるぞ、ということは俺も食えるに違いないと群がっていくんだね。

 

 ああいう場合、鳩は完全な消費者というか、受くる者に成り下がっているように思う。餌をやる爺さん(鳩的には神様?)から、なんの対価も払わずに餌をもらっているわけだからね。まあ、あえて対価があるとしたら、爺さんに優越感と癒しを与えていることくらいか。よくわからないけど、完全にもらう側なんだよ。

 

 そういう光景を見ていると、鳩になってしまってはいけないなと思ってしまう。そうするしか生きられない場合も人生にはあるとは思うんだけど、できる限りは完全な消費者というか受くるだけの者にはなってはいけないと思うわけだ。

 

 せっかく生きているならば、やっぱり何かしら自分でしか生み出せないものを生み出してみたいんだよね。そういうことをせんと自分の中で納得の行った人生とは言えない気がするし。だから、今苦しくても、どんなに大変でも、何かを生み出し影響を与えられる仕事をずっとやっていきたいと思う。今の仕事がそういう仕事かどうかは微妙だし、本当に大変で耐え難いことも多いけど、それでもやって行きたいと思うんだよ。

 

 心が弱くて世間を渡り合うのが得意ではなくて、何の取り柄もない僕だからこそ、弱い者のためになるような仕事をして行きたいと思う。

 

 ここまで書いてきて、やっぱり、書いとかないといけないと思ったけど、本当は僕はまだまだ鳩なんだよな。何も生み出してなくて、ただ飯を食わせてもらっている者だ。それは悪いことではないとは思うけど、やっぱりそうじゃダメだなと思う。

 

 あーあ、考えすぎてしまうのはダメなんだけど、考えてしまうんだような。鳩から脱却するためにも、もっと自由で、思うがままに、自分らしく羽ばたいて行きたいと思うます。

シュパッと行こう

 なんだか、いろいろと悩ましい世の中ですな〜 思いもかけない障壁が行く手にはたくさん仕込まれている〜

 

 先日久しぶりにあったお兄さんは、突然ぶっ倒れて気がついたら病院に居て「あとちょっと遅かったら死んでいましたよ」と言われて、それから長いこと入院して今は退院したもののまだ完治ではないけど、なんとか楽しくやっているよという人だった。

 

 いやあ、よくやれるよねえ。そのまま、死んでても全然おかしくなったんだって。彼が言うには、そういうことを経験したからもう何かが吹っ切れて怖いものがなくなったんだと。

 

 僕は死にかけるまでのことにはなったことないし、これまでヌルヌルと生きてきたのかなあと思いましたよ。こんな僕には全然そんな域には行けない気もするなあ。その人は、吹っ切れすぎて面白い感じになってたけど、そのくらいでいいのかなと思ったなあ。

 

 あんま考え過ぎたり悩み過ぎてもいいことないよなあ。それにもし明日死ぬんだとしたらそんな下らんことで悩んでいるだけ時間の無駄というか、悩んでも何も得をしないというか、、、 その時間を大切に使えないってことだから、まあ色々と勿体無いいよねー

 

 ということで、あんまり考えずにシュパッと行こうかなあと思いましたとさ。上司とか色々な人に嫌なことを言われることもあるし、忙しいこともあるし、病気になることもあるけど、そんなものはある程度対処しつつもシュッとかわして、自分らしく自分のやりたいことをやればいいんだろうなあ。

 

 うん、そうだそうだ。

 

 最近は大変なことも多いけど、色々な人から元気や勇気をもらってばっかりです。ありがたいのう。