強くはなれなくても豊かに生きる

むっきーのブログ。心身ともにバランスを崩して、いろいろ駄目になりかけちゃいました。これからはもっとしなやかに、もっとしたたかに生きていこうと、考え方を変革中です。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

(社会)ロボットに人生を飲み込まれるのか?

 どうも、連続むっきーです!

 

 さきほどの記事で「ペッパー」という単語を書き、最近気になっていることを思い出しました。さっきは普通にコショウという意味でしたが、僕が気になっているのはソフトバンクのロボット「ペッパー」です。

 

 つい、ペッパー君!と呼びたくなるような可愛らしい風貌ですよね。街で見かけることも多く、最近では特に珍しいものではなくってきたのではないでしょうか。

 

 僕はペッパー君そのものよりも、彼と触れ合っている人を見るのがなんだか好きです。先日見かけたのは、ソフトバンクの店の中でペッパー君と触れ合っているおばあさん。私は道を挟んで向かいのカフェで軽い仕事をしていたのですが、ちらっと目をやるとおばあさんとペッパー君が話をしていました。「かわいらしい光景やな」と微笑ましく思っていましたが、20分後くらいにちらっと見たときも、まだ二人は会話をしていました。けっきょく、30分以上話していたんじゃないかな。

 

 おばあさんにとっては、飽きずに話し相手をしてくれるペッパー君が可愛くてたまらない様子でした。ペッパー君にとっては、おばあさんはどういう相手なんでしょう。いや、ペッパー君に感情は無いか。

 

 次に他の店で見たペッパー君は、小学生くらいの子供たちと話していました。子供たちは、歌を歌ってもらったり、表情でカウンセリングしてもらったりして遊んでいました。みんな笑顔で本当に楽しそう。

 

 この子どもたちにとって、ペッパー君とはどんな相手なのかな。ただのおもちゃかな。いや、子どもたちのキラキラ輝くめを見ると、たぶんそれ以上の存在に映っていたように感じました。たぶん、宇宙人とか天使とかを見るような感覚なのかな(変な表現かな?)。そしてペッパー君にとってはどんな相手なんだろう。いや、ペッパー君に感情は無いか。

 

 本来、ロボットであり感情のないペッパー君ですが、話している人間側は非常に感情移入してしまいそうになります。僕も実際、君付けで呼んでるくらいなので、感情移入しまくっていると思います。これって、別に悪いことではないと思うけど、ちょっと怖いことだよね。

 

 僕はロボットが悪いものと決めつけてはいませんが、ちょっと懐疑的に見ています。それはたぶん、映画「ターミネーター」の影響が大きいです(笑)。人間は感情を出してしまうけど、彼らは淡々と任務をこなすだけ。それがたとえ、殺人であろうとも。ああいうのを見てたら、本当に恐ろしいよね。

 

 もちろん、ペッパー君が殺人を起こすとは思えないけど、たとえば彼に銃を持たせて悪人と判断したやつを銃で撃てとかインプットすると、たぶんできるんですよね。それってとっても恐ろしい。

 

 あともう一つ恐ろしいのが、ロボットやAIの技術が進歩すればするほど、人間の職が奪われて行くということ。特に、単純作業系の仕事や、個人の裁量が少ない仕事はロボットに取って代わられる可能性がけっこう高い。そういうことをテレビとかでよくやってるけど、ちょっと怖いよね。ロボットを作ったのはもちろん人間。でも、そのロボットに人間の職が奪われていく。

 

 神が人間をつくったのに、人間が優秀になりすぎたために、神の代わりになっているような話かな。いや、これは極端な例やな(笑)。まあ、それくらいのことが起きようとしているんですよね。

 

 しかし、これからの時代、否が応でもロボットと関わらないと生きて行けない時代になると思います。そんな中でこそ、自分のアイデンティティを失わず、自分の感覚を大切にして、自分らしく生きて行くことが大事なんでしょうね。可愛い顔のロボットに、自分の人生を飲み込まれないためにも。