強くはなれなくても豊かに生きる

むっきーのブログ。心身ともにバランスを崩して、いろいろ駄目になりかけちゃいました。これからはもっとしなやかに、もっとしたたかに生きていこうと、考え方を変革中です。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

蘇る、あの頃の夢とあの子のこと

 年末年始は子どもの頃からの友人達と会うことで、楽しい時間を過ごしつつも、つい考えこんでしまっていた。もう脳みその路地裏に追いやられていたような記憶がだんだんと復活するに従って、取り返す事のできないような後悔が次々と起こってきた。

 

 思い出した後悔は、仕事のことと恋愛のこと。まず仕事のこととは、自分が中高生の頃に本当に就きたかった職業があったことを思い出してしまったことだ。ずっと忘れていたのだが、あの頃は本当にその職業になりたかった。あまりにも特殊で変わった仕事なのでここに書くのははばかられるが、当時は真剣に考えていた。しかし、思春期でかつまわりの顔色を気にすることに精を出していた私は(恥ずかしい事だが)、それを目指すことで変な評判が経つのではないか、なんとなくかっこう悪いと思われるのではないか、と考えてしまって諦めてしまった。

 

 今考えると恥ずかしい限り。でも、当時はまわりの人にどう思われるかが一番大事だったんだろう。本心は誰にも言いだせないまま、その道を諦めた。そして、なんとなく大学に行って、なんとなく就活をし、今の仕事についている。今の会社も簡単に入れるようなところではないのだが、そこまで気持ちは強くなかった気がする。だから、入社してからまだ何年かだが、もうしんどいし、これ以上の努力をしようとも思えないし、転職したいとさえ考えるのだと思う。

 

 これってなんなんだろうな。やっぱり、自分の本心を押し殺したらいけないということなのかな。「お前は何をしたいんだ?」って言ってくれる人たちがいるけど、本当にこの一言に尽きるのだと思う。私は、仕事とは、ただ飯を食うためだけにするものではないと思っている。自分の目指すものがあって、そこに向かって仕事をしないといけないと思う。でもその目指すものが明確でないと、中途半端な事になってしまうことは分かりきっていたよね。自分は何をしたいんだ? この答えをあと数年のうちに見つけて、それが見つかれば今の仕事を辞めてでも追いかけたいと思う。

 

 そして、恋愛のことも。高校生の頃、ずっと気になっていた女の子がいた。というより、本気で好きだった。屈託の無い笑顔と、独特のユーモアがあるその子に、完全にほれていた。ずっとその子のことを考えていた。そして、その子も私のことが好きだということは、人づてに聞いていたので知っていた。二人で、「好きだよ」と言い合ったことは無かったけど、お互いにそんな気持ちは分かり合っていた。

 

 でも、その子とお付き合いする事はなかった。なんでなんだろう。これも単なる気恥ずかしさから来るものだろうか。それとも、お互いに好きだという事が分かり合っていたし、その関係が崩れることが怖かったのだろうか。自分でもよく分からない。でも、私には当時、本気で付き合う気持ちはまったくなかったように思う。

 

 二人の楽しい時間は続いたが、付き合ってはいなかったので、いつの間にか、なぜだか疎遠になっていった。私に、本当の彼女というものができたのも原因か。本当の彼女という人のことを私は本気で好きだったし、愛し合っていたと思う。だけど、例の子のことはずっと心の中では好きだったと思う。

 

 こんな文章を書いていると、ただの浮気性の人みたいに思えるかもしれないが、そんなたいそうなもんではないと思う。心の中にいる、ずっと大切な人って言うのは、いてもいいのだと思う。今はたぶん好きではない。それならありだよね。

 

 だが、当時好きだったんなら、好きって言って付き合っておくべきだった。今になればそう思う。自分の気持ちを隠してもなにも得はしない。得どころか、後悔することばかりだ。上記の仕事の話もそうだが、自分の気持ちに嘘をついていてはダメな人間になってしまうということを痛い程思う事ができた、年末年始だった。

 

 取り返しがつかない事もあるけど、これから築いて行く未来の方がよっぽど面白い。これからは気持ちに正直に、まっすぐに生きて行きたい。