自分が何者かってマジでわからん
自分は何者なのか。もしくは、何者になりたいのか。そういうことって考えないようにしようと思ってても考えてしまう。実際何者なんだろうな。
こんなことを考えているのは、久しぶりに朝井リョウ氏の「何者」を読んだから。昨年、同作を原作とした映画も見たけど、そのときは本当に気分が悪くなった。めちゃくちゃ体がどしーんと重くなる感じ。自分の過去と重ねて考えてしまったりして、いろいろとフラッシュバックしてしまうんだろうな。
同作の内容は、ツイッター全盛期に普通の大学生達が就職活動をしているとこうなりましたっていう感じのお話なんだけど、これがとても秀逸なんよなあ。あ、こういうやついるいる〜とか、こんなことあったな〜とかいうことのオンパレード。そして、自分はどのタイプの人間で問題点がどういうところにあるのかというのをマザマザと見せつけられる感じ。
同時期に就活をした人間としては、本当に当時の自分を見ているようで目も当てられないような気持ちになってしまうんよね。僕は就活はなんとか一応うまくいったけど、でも、他の人から見たらこう見えてたんだろうなとか、少しは悪意がある行動もしてしまっていたなあとか、そういうことを思い出してしまう。
それに、一応うまくいったにしても、就活って苦しかったなあ。体力的に大変だったのもあるけど、この映画のように自分が何者なのかとか、社会に本当に必要とされているのかとか考えさせられるのが苦しかった。何をやっているときも、就活のことを考えてしまっていたからなあ。
最近は時期的に街で就活生を見かけるけど、彼らも今まさにそういう状況にぶちあたっているんだろうね。本当に頑張ってほしいよね。
そして、社会人歴をこうやって重ねたから言えることだけど、就活ってやっぱり茶番だったよなって思う。リクナビだかマイナビだかいう就活斡旋の広告サイトに煽られて、志望してもなくても有名な会社を何十社も多い人では百社とか応募して、自分が何をしたいとかではなくただ受かるためにいろいろと上辺だけのことを語り、会社からしても本当か嘘かもわからんような就活生のPRを聞いてパッパと面接で処理していくわけだよね。そんなんで一喜一憂して、学生たちはみんなわけのわからん状況に追い込まれていくんよ。
ああいう就活サイトってけっこう害悪だと思うなあ。まあ、効率的に採用したい会社の立場からしたら良いのは理解できるけど、それを見る学生からしたら振り回されてばかりで利益ってないような気がするんだけどな。でもネット時代の宿命なのかな。
また駄文をだらだらと書いてしまった。本当に書きたかったのは、自分が何者かっていう問いは社会人になってからこそ重要になるのではないかってことかな。
社会人としてどういう職業に就きましたっていうのはいろいろあるだろうけど、それで自分が何者かって確定した気がしつつも、実は職業と自分が何者かってあんまり関係なかったりすることも知っちゃったわけなんよね。
僕は、社会人になってからやっと自分が本当に何をしたいんだろうと考えるようになった。それまでは中高大と全部社会の一般的なレールに乗って来ただけだったけど、社会に出たらそうではなくて道はたくさんあるということを知ることができた。それで、じゃあ、どの道を選ぼうかなと迷っている感じなんよ。
実際に自分が行動できるかどうかは自信がないけど、自分が自分らしく生きていくためには、けっこうな決断をしないといけない気がしている。それがどの決断なのか、まだ自分では確信が持てないから困っているけどね。でも、そろそろいろいろと本格的に動いていこうと思う。