僕は僕
さっき、3月になった。もう今年も6分の1が終わった。やはり年の初めは、過ぎて行くのが駅を飛ばしながら走る快速電車のように早い。何度もこの感覚を味わいながらも、なかなか慣れないあたりが僕の記憶蓄積機能の限界だと感じる。
こんなことを書いておきながらなんだけど、「3月になったから何なの?」って、自分に言ってやりたい。別に月が変わろうが、そんなに僕自身には何も影響しないだろう。僕の人格には2月と特に変わらないだろう。
じゃあ、そんなものを気にしているのは馬鹿なのか。いや、それも違う。社会のなかで生きているならば、そういうことを気にすることも無駄ではない。何かの切り替えに使う事自体は無駄ではないし、むしろ有益かもしれない。
でも、僕が今のようななんとも前身がかゆくなるような思いになってしまっているのはなんでなんだろう。時間にあらがいたいだけなのかなあ。それとも、月の変わり目と言うだけの分かりやすいイベントに乗っかって物事を考えるのがかっこわるいと思ってしまっているのかな。
一番の思いは先ほども書いたように、明日も今日も僕は僕のままなんだから、そんなものにとらわれるのはよそうよということなのかもしれない。そんな切れ目じゃ僕という人間は変えられないものなのだと。
だけど。僕は変わらないといけない。やっと自分の一番の問題点に気がついたのだから。たった月が変わったくらいで変わることはできないけど、何かのきっかけで変わらないといけない。いや、何かのきっかけでとか人任せにしているような所も変えなければいけない。
僕は僕だけど、少しずつつ変えていく必要はある。それも、社会の流れや周囲の人の影響によって変えられるのではなく、自分の意志で変えていかないといけない。必ず。