強くはなれなくても豊かに生きる

むっきーのブログ。心身ともにバランスを崩して、いろいろ駄目になりかけちゃいました。これからはもっとしなやかに、もっとしたたかに生きていこうと、考え方を変革中です。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

フードコートで勉強できる人間は強い。

  先日、時間があったので某ショッピングセンターのフードコートに行った。別にお腹がすいていた訳ではないけど、あそこは暇つぶしにはもってこいだと勝手に思い込んでいる。お腹がすいたら、ファストフードから中華、うどん、和食までさまざまなものを気軽にいただける。そして、長い時間いてもいても基本的には怒られないし、気まずくもない。なんとなく居心地の良い場所だ。

 

 この日はお腹はすいていなかった。でも、いろいろな店から漂ってくる匂いが僕を誘惑してくる。結局、ファストフード店でバーガーセットを買ってしまった。なんとなくにおいが苦手だけど、たまに食べるとあの邪悪な味がなんとも言えない感じで体にしみ渡るのが快感に感じてしまう。

 

 さて、前置きはこのくらいにして。私はパソコンを開いてちょっとした作業をしていた。でも集中力がキレて来たので、周りを見渡してみた。すると、勉強に取り組んでいる人が多い事に気がついた。

 

 一番多かったのは勉強のようなものをしている中高生や学生さんだった。1人で黙々と問題を解いているような女子高生がいると思いきや、参考書を開きながらもきゃっきゃと雑談に花を咲かせる集団もいた。辞書のように分厚い本を読みながら、パソコンでレポートのようなものを打っている大学生のような人もいた。

 

 こういう光景を見ると、自分の過去と重ね合わせてしまう。僕は中高生時代はフードコートで勉強したことはなかったが、友人と一緒に図書館やベローチェのようなカフェに足を運んで自習をしたことはあった。勉強をしている自分て偉いなあという気分だけで満足して、実際には勉強をするのでもなくかといって、遊ぶでもないというような中途半端な時間を送っていたような気がする。やっぱり集中力が著しくなかったようだ。

 

 今思うとなると、自分は本当に集中力のない人間だった気がする。でも、高校受験のときは、スパルタ塾で洗脳されていたので、志望校に受からなかったら死ぬんだくらいに思っていたため、死ぬ程勉強した。それこそ一日中勉強して、寝る時間以外は勉強していた気がする。ちょいとプレッシャーで精神的におかしくなりかけたこともあったが、なんとか努力を継続し、そこそこ良いと言われる高校に合格する事ができた。今思うと、あの頃の自分は、勤勉少年という点ではとても美しかった気がする。

 

 しかし、そのあとが問題だった。合格することがほとんどの目標だった僕は、高校に入学すると一気に気が抜けてしまった。もう勉強なんていっさいしなかった。というより、もう脳みそ君が勉強自体を拒否してしまったようで、授業も30%くらいの話しか聞いていなかったし、宿題もなんとか形にする程度にしかしなかった。そして、テストではもちろん成績が悪く、学年で下から何番目かとかいうことも珍しくなかった。

 

 2年生くらいになると、周りも勉強しなくなって来たせいか、再開争いをするほど酷い成績ではなかったが、ずっと低迷したままだった。そして、そのまま大学受験に突入。形上は勉強ことができていたが、たぶん脳みそは停止していたんだろう。まったくもって行きたかった大学には合格できず、無事浪人が決まった。そして浪人の期間でも、まあそれなりには勉強したが、高校受験のときのような頑張りは発動する事ができず、一応志望校だった某トップ大学にはかすりもせず、そこそこの大学にしか合格できなかった。

 

 と、話が大幅に脱線したけど、フードコートでこんなことを思い出していた。頭が悪いとかではなく、勉強を取り組む事ができるかどうかの問題なんだよなあ。とりあえず僕は、自分が嫌と思ったものにはとことん取り組めなくなる脳みそのようだ。これに気がついたのは本当に社会人になってからだ。

 

 苦手意識や嫌だなと思うことは当然人間誰しもあるけど、あとはそれから逃げるか、それとも克服するために立ち向かうかということなんだよな。それができない僕は本当に弱い。だから、最近は苦手なものを苦手と思う事をやめようという思考に変わって来た。立ち向かうのってなかなか難しいから、もうそもそも苦手ではないんだと自分に言い聞かせるようにするわ。自分に嘘をつくのは嫌だけど、でも、逃げないための作戦という事で許されると思う。

 

 まあ、それに、苦手と思っている大概のことは、下らん思い込みに過ぎない事が多いと思うんよね。別にそれをしたからといって死ぬ訳でもないんだし、もしそれに失敗しても死ぬ訳ではないし、上司や世間から怒られても多くの場合死ぬ訳ではないんだし、苦手という意識はやらないための言い訳に過ぎなかったんよね。ああ、恥ずかしい。

 

 と、いろいろ書いて来たけど、僕の思ったことは、フードコートで勉強できる人間は強いということ。あんな食べものの誘惑とか、子どもの大声とか、いちゃいちゃカップルの見せつけ行為とか、気が散る材料がたくさんある中で、集中して本当の意味で勉強できている人は、本当に精神力が強い。たぶん受験だけでなく、社会に出てからもやっていけるんだろうな。たぶんその人達は、自分の中で何か明確な目標があるはず。

 

 それがちゃんと描けてるから、ああやって集中できるんだろうね。すごいね。それに比べて僕は。。。

 

 ということで、「苦手意識は、やらないためのただの良い訳だ」、「明確な目標を持たないといけない」という二つの事を、フードコートにいる学生さんから学んだという話でした。ありがとう。

誰かの評価なんて基本間違っていると思う

 なんだか世間って冷たすぎない?特に芸能人関係のニュースに関してってさ。

 

 ノンスタイルの井上さんが当て逃げをしたっていう問題(以下リンク)を見ていると、なんだかいたたまれなくなる。もちろん、当てただけでなくて逃げたという事は、この人が完全に悪いんだけどさ。でも、なあ。そこまで袋だたきにして、ニュースで何回でも言う話とは思えないんよな。

 news.yahoo.co.jp

 ほんの少しでも失敗をしたらいかんということなのかなあ。それともテレビに出ている人は何かしら失敗をしたら叩かれまくって当然ということかなあ。下にリンクを貼ったベッキーのときもそうだけどさ。

news.yahoo.co.jp

 悪いと決めた人間には、もう集中攻撃をしてこてんぱんにするのってどうかと思うんよ。まあ、こんなことを思うのは、たぶん自分がいつこの立場になるか分からないという変な危機感があるからなのかもしれないな。

 

 別に何か犯罪をしたわけではないけど、人間いつ失敗するかわからないわけで。だれでも起こりうる事なんよ。それを圧倒的なパワーで攻撃し続けるのってどうなのかなあ。

 

 事件とかの報道もそうだけど、やり過ぎな気がするんよな。一度犯罪を起こした人間、不倫とか倫理的にやばいことをした人間へは、もう人間と思わなくていいぞというくらいバッシングするというか、うーん、まあニュースとして面白かったらそれでいいんですかね。

 

 わからないけど、自分はもっと大らかな社会になってほしいと思うわけなんよ。さすがに犯罪に寛容な社会がいいとか、そんなことはいっさい思っていないけど、もっとね、優しさに包まれた世の中になってほしいんよなあ。

 

 会社の中でもそうだけど、ぎすぎすし過ぎていると思う。すぐに仕事ができる奴と、仕事ができない奴とに、分類される。そしてできない奴はこてんぱんにする。こういうのっておかしいと思うんよなあ。もっと互いで支え合えたら、もっといいパフォーマンスが出せると思うんだけど。すぐに人を評価するのっておかしいと思うんよ。

 

 たぶん、自分のなかではその評価っている点がとても引っかかっているのだと思う。人間が人間の物差しで、他の人間の事を評価するってちょっと限界があるんよな。どの評価が正しいかなんて、もう確信が持てんしね。

 

 僕はたぶんもともと人をすぐ評価したがる人間だったんよ。でも、それが間違いだと気がついた。だから、今は評価というものにとても違和感がある。そして今でも自分なりに他人を評価をしてしまうことはあるけど、それが正しいとは思うわないようにしている。まあ、評価ではなく、感想くらいのゆるいものとして考えて、自分は基本正しくないんだと思うようにしている。

 

 もっと大らかな社会へ。そのためにもそれぞれの物差しがゆるーいものになればいいと思うのだけど。

 

つかれた

  なんかさー おれって、もっともらしいことばかり言ってるけど、なんも生み出してないなあ。

 

  口ではなんとでも言うことはできるけど、やっぱりちゃんと行動して結果として見せんと意味がないんよなあ。動き回るしかないんよなあ。

 

  人任せにせず、自分の頭で考えて動いて、それで形にしないとなあ。けっきょく、生きてるだけで、何も生み出してないもんな。

 

  とりあえずこんな生活は疲れましたわ。はやく次のステージに進みます。

時短の波が起きれば良いのになあ

 時短、時短、時短。

 

 電通の新入社員自殺問題を機に、時短がキーワードというか、流行のようになっている気がする。でも、いつまで続くのだろう。そして本当に短くなるんだろうか。

 

 ちょっと別の話やけど、下のリンクの記事のように、月末の金曜日を午後3時退社とする「プレミアムフライデー」というやつが始まるらしいね。これは消費活動の活性化を狙ったやつみたいだけど、そんなことより、労働時間短縮への布石になれば良いと思うけど。

「月末金曜15時退社」2月から | 2016/12/12(月) 19:07 - Yahoo!ニュース

 

 でもなあ、言葉上は勤務時間の短縮というけど、本当に短くなるのだろうか。あの悪名高き電通も、午後10時には本社の照明が消えるらしいけど、そんな形上のことはどうでもいいと思う。むしろそれが原因で、持ち帰り残業や、立場の弱い子会社へのしわ寄せ、逆に精神的な負担とかになったりするはずよね。そんなら、なんも抜本的な解決にはなってない。

 

 もう、表面上のことは良いから、社会全体としてまともな労働環境を取り戻す動きが起きんといかんな。でも、そんなもん待っといても起きんよなあ。

 

 政治家になって活動するかなあ。うん。

 

 というより、自分の働き方を変える事から始めますか。こっちの方が先かもな。きっとそうやな。

どうやったら自分の本音に出会えるの?

 自分の本音が自分でもわからない。最近、そんなことに気がついた。

 

 いろいろと悩みや、迷う事ってあるけど、それって自分の本音がわかっていないことが原因みたい。もし、「〇〇をしたい」とか「〇〇が好きだ」って明確な本音があれば、何も迷う事無く突き進めるもん。

 

 もちろん形上は、「こうなりたい!!!」っていう考えはある。でも、たぶんそれって、表面だけで本音ではないみたい。所詮、人の目を気にした結果、そう言ってただけなんだろうなと思う。

 

 でも自分は本当のところ、どういう人生を送りたいのかとか、どういう仕事をしたいのかとか、そういうのって自分でわかってないんよ。と、いうか、そういう思いってないのかもしれんな。

 

 そういう自分の本音がない、もしくはわからないから、何かを決断する事も苦手。何かを継続して頑張ることも苦手。それに、本音を出して人に相談するのも苦手かも。。。

 

 このまんまで本当にまずい気がする。

 

 何か対策を打たんといけないな。このまんまじゃ、どんどんダメな人生になってしまうので、自分に正直になって、自分で考えて、自分で決められるように、努力していく。そう決意しました。

成宮さんの精神状態は大丈夫だろうか

 最近のニュースの中で、俳優の成宮寛貴さん引退ってやつが、なんだか堪えてる(下記参照リンク)。別に僕になんの関係があるんだって話だろうけど、どうも人ごとには思えんというか。彼の精神状態は大丈夫だろうかと思いを巡らせてしまう。

 

 世の中はさまざまなうわさ話が飛び交っているよね。A君が結婚したらしい、Bさんたちカップルって分かれたらしいよとか。身近な交友関係では、そう言う話がなんとなくのうわさ話として、伝わってくるもの。

 

 でも芸能人となると、そういうレベルの話が、ただの噂ではなく、ゴシップ記事として広まる。それも、非常にプライベートな部分にまで踏み込む事もある。それをうけて、芸能界だけでなく、本来なら当人とまったくの他人である人までもが、それを元にいい加減なうわさ話をする。おそらく、街中の人間みんなが自分のことを噂しているような気がしてしまうんだろうな。そんなことになったら、本当に普通の精神状態ではいられなくなると思う。

 

 芸能人や政治家とかではない僕は、たぶん知り合いなんて数百人か多くて数千人かな? 見当もつかない。。。でもそんな私でも、変な疑惑をもたれたら、あの人も自分のことを悪く言っているんじゃないだろうかと気にして、ナーバスになってしまうだろう。考えただけでも恐ろしい。それが芸能人だと、本当にうわさ話のレベルが違うんだろうね。

 

 そういう周りの目に耐えきれずの、電撃引退となったんだろうか。本当は週刊誌が報じたくらいの疑惑(もし真実ならば警察に捕まってしまって当然だとは思うけど)で引退なんてしなくていいと思うんだろうけど、もうまともな精神状態ではなくなってしまったんだろうと思う。

 

 彼の直筆ファックスの文面からも、かなりヤバそうということが伝わってくる。文面からなんともいえない、恐ろしさが伝ってくるのって本当に怖い。一時期の僕も近いような状態だった気がする。あの頃は、頭の中で正常な思考ができずに、考えが堂々巡りをしてしまって、文章を書いたり話をしたりしても意味不明になってしまっていた。彼の文章から、そういうことを思い出した。

 

 人は追いつめられると正常な判断ができなくなるんだろうな。そのためには、彼がとった引退という決断のように、一度逃げ出してみるのも有りなのかなと思う。自殺や、精神崩壊とかそういう最悪な状況にならないことを心から願ってる。

 

 あと、それと同時に、メディアのあり方ってなんなのかなってのも考えてた。フライデーが面白おかしく書いた記事が発端で引退ということになり、、、その後も、下のリンクのようにいろいろなメディアやニュースサイトが知ったかのよう下記ぶりで記事を出す。確かに出された記事は読んでしまうけど、その記事って本当に必要なの?と思ってしまう事も多いんだよね。

 

 儲け最優先や、会社の変な主義とかで突っ走る報道の時代はもう古い。今はネットによってさまざまな方向から情報が飛び交う時代なんだから、メディアはしっかりと情報を精査して性格かつ少しでも一般人目線の記事を書くようになるべきだ。

 

 とてもぎすぎすした世の中で、どの情報を信頼したらいいかもよく分からない。でも、とにかく人を傷つけるだけのうわさ話などには惑わされないようにしたいと思う。

www.sponichi.co.jp

www.huffingtonpost.jp

面倒くさい人間をやめないと

 最近テレビや人付き合いなどで、めちゃくちゃ面倒くさいタイプの人や、それを演じる人を何度か目撃した。相手が言ったことの言葉尻を捉えてあれやこれやと反論たり、相手の意見を受け入れられずにずるずると噛み付いていたり、自分が注意されたことに腹を立てて意味不明な言い訳をずっとづつけたり、訳のわからないようなところでいきなりキレたり。。。例をあげればきりがないけど、面倒くさい人って多いんだなと思った。

 

 でも、そう思うと同時に気がついた。自分もひょっとしたら、こんな風に思われて来たんじゃないかと。

 

 実際、けっこう思い当たる節があるんよなあ。直接的に「お前面倒くさいなあ」と言われたことも何度かあるし(笑)、直接出なくてもそう思っているような態度を取られたこともあった。

 

 なんかわかってはいたけど、そういうのってあまり修正できなかったんよな。自分の話したい事を話したいし、自分の意見もなるべく通したいしね。そんなんだったから、そういう現実からは目を背けて来た。

 

 しかし最近、他人の「面倒くさい」というのがなんとなく気になりだした。これってたぶん、やっとその面倒くさいというのがダメだということに気がついたということだと思う。遅すぎるけど〜

 

 まあ、実際にどのくらい自分が面倒くさいのかとか、そもそも面倒くさいってなんなのだろうかとかわからんけど、とにかく人を不快にしたらいかんよな。いかんというか、そんなことしても自分が損するだけだしね。

 

 ようわからんけど、とにかく素直な人間になることが大事なんだろうね。もちろん、自分の譲れん部分は譲ったらいかんけど、それ以外の自分の誤りや判断ミスとかは素直に、「そっか」と受け入れるようにしないとね。

 

 そういうことを考えていましたとさ。ではでは。