強くはなれなくても豊かに生きる

むっきーのブログ。心身ともにバランスを崩して、いろいろ駄目になりかけちゃいました。これからはもっとしなやかに、もっとしたたかに生きていこうと、考え方を変革中です。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

BMWに乗りたい!!!けど、、、

 いつか、大きなBMWに乗りたい。時間があったらつい磨きたくなるような、透明感があって輝く白色のBMW。ご近所さんから「いい車ですね」と言われて、それほどのものではないよと、えへへと笑ってみたい。

 

 こういう気持ちってずっとある。別にBMWで無くてもいいんだけど、そういう裕福な暮らしの象徴みたいなものを持っていたいと思う。

 

 今の会社になんとかしてしがみ付いていけば、いつかはそういう車も、マイホームも持てるとは思う。でも、正直に言ってこの仕事が自分にあっているとも思えなかったりする。つまり、しがみつくのは、けっこう自分にとって大変なことだと思う。

 

 そういう問題以外にも、他にやってみたい仕事というか、かなえてみたい夢が山ほどあるので、今の会社に定年までということはあり得ないと思ってる。でもそのやってみたいという夢が明確に定まっている訳でもない。

 

 一番の理想を言うと、好きでたまらない事を仕事にして、それで高収入を得るということ。でも、こんなん理想論。というか、本当に才能があって運もあってという人しかそんなことは成し遂げられないのだろうな。

 

 つまり、自分のなかで折り合いをつけないといけないということだろうね。収入はいいけど本当は嫌いだと感じている仕事を、努力して少し好きになってみる。もしくは、収入は低くていつもお金に困るような生活になってしまうかもしれないけど、好きな事をやってみる。どっちにしても、悔いなく生きるという観点では、ある程度リスクがあることだよね。

 

 こんなことばかり考えていても何にも得をしないということは分かっているけど、考えてしまう。そして、判断が難しい。

 

 天秤にかけられるようなものではないけど、自分なりの天秤にかけてじっくり考えないといけないのかな。時に任せるとか、運に任せるとかいうこともできるけど、それだったら結局は自分で決めていないので後悔が残ることになる。

 

 俺は本当にBMWに乗りたいのか。俺は本当に別の夢を目指したいのか。あと少し、考えてみたいと思う。

自分で決める。

 年が明けて10日が経った。これって早いとみるか、遅いとみるか。

 

 ここ最近は時間があると、過去の自分の後悔について考えていた。前回のブログで書いたような、当時の恋のことがずっと頭の中でぐるぐると回り続けていた。自分でもどうしようもない感情。その正体ってなんなんだろう。

 

 実際に恋がどうたらというより、過去の自分に対して憐れだと感じているのかもしれない。はっきりと答えを出すべきところで、答えを出せなかった。当時の楽しかった状況を心地よくて、挑戦することを拒否していた。その時の短い感情でいえば、そのやりかたも間違えではなかった。だが、長期的にいえば大きな間違いを犯していた。

 

 思えばその後、私の人生は答えを先延ばしにすることばかりだった。恋に限らず、自分の進路のことや、就職のことも含めて。どっちかを手に入れるか決めないといけないのに、それを怠った。そして結果的には、どちらも逃すというようなことが多かったように感じる。

 

 なんで、ああしなかったのかと思うことは多いが、その状況にいた自分にそんなことができたのだろうか。そう考えると、たぶんできなかったように感じる。いつも決められないで逃げていた。

 

 先延ばしにしたらそのときは楽かもしれないが、結局は自分が損するのだということを、今回の一件で身をもって感じる事ができた。そんなこと分かりきってるつもりだったが、いつも逃げてしまっていた。実際にはまったく分かっていなかったのだと感じる。

 

 後悔をするというのは恐ろしいことだ。ずっとその後悔に取り付かれてしまう。その後悔をそもそも生み出さなくするようにしないといけないんだね。本当に自分のまわりにはくだらない後悔が多すぎる。

 

 今の自分はどうなのか。答えを出すことから逃げてはいないか。そう、自分に問いかけてみようと思ったが、そんなこと言うまでもなく逃げているんだろうな。将来やりたいことはいろいろあると言いながら、それに踏み出していないもんな。もう後悔はしたくないので、今回は自分で決めるぞ。

蘇る、あの頃の夢とあの子のこと

 年末年始は子どもの頃からの友人達と会うことで、楽しい時間を過ごしつつも、つい考えこんでしまっていた。もう脳みその路地裏に追いやられていたような記憶がだんだんと復活するに従って、取り返す事のできないような後悔が次々と起こってきた。

 

 思い出した後悔は、仕事のことと恋愛のこと。まず仕事のこととは、自分が中高生の頃に本当に就きたかった職業があったことを思い出してしまったことだ。ずっと忘れていたのだが、あの頃は本当にその職業になりたかった。あまりにも特殊で変わった仕事なのでここに書くのははばかられるが、当時は真剣に考えていた。しかし、思春期でかつまわりの顔色を気にすることに精を出していた私は(恥ずかしい事だが)、それを目指すことで変な評判が経つのではないか、なんとなくかっこう悪いと思われるのではないか、と考えてしまって諦めてしまった。

 

 今考えると恥ずかしい限り。でも、当時はまわりの人にどう思われるかが一番大事だったんだろう。本心は誰にも言いだせないまま、その道を諦めた。そして、なんとなく大学に行って、なんとなく就活をし、今の仕事についている。今の会社も簡単に入れるようなところではないのだが、そこまで気持ちは強くなかった気がする。だから、入社してからまだ何年かだが、もうしんどいし、これ以上の努力をしようとも思えないし、転職したいとさえ考えるのだと思う。

 

 これってなんなんだろうな。やっぱり、自分の本心を押し殺したらいけないということなのかな。「お前は何をしたいんだ?」って言ってくれる人たちがいるけど、本当にこの一言に尽きるのだと思う。私は、仕事とは、ただ飯を食うためだけにするものではないと思っている。自分の目指すものがあって、そこに向かって仕事をしないといけないと思う。でもその目指すものが明確でないと、中途半端な事になってしまうことは分かりきっていたよね。自分は何をしたいんだ? この答えをあと数年のうちに見つけて、それが見つかれば今の仕事を辞めてでも追いかけたいと思う。

 

 そして、恋愛のことも。高校生の頃、ずっと気になっていた女の子がいた。というより、本気で好きだった。屈託の無い笑顔と、独特のユーモアがあるその子に、完全にほれていた。ずっとその子のことを考えていた。そして、その子も私のことが好きだということは、人づてに聞いていたので知っていた。二人で、「好きだよ」と言い合ったことは無かったけど、お互いにそんな気持ちは分かり合っていた。

 

 でも、その子とお付き合いする事はなかった。なんでなんだろう。これも単なる気恥ずかしさから来るものだろうか。それとも、お互いに好きだという事が分かり合っていたし、その関係が崩れることが怖かったのだろうか。自分でもよく分からない。でも、私には当時、本気で付き合う気持ちはまったくなかったように思う。

 

 二人の楽しい時間は続いたが、付き合ってはいなかったので、いつの間にか、なぜだか疎遠になっていった。私に、本当の彼女というものができたのも原因か。本当の彼女という人のことを私は本気で好きだったし、愛し合っていたと思う。だけど、例の子のことはずっと心の中では好きだったと思う。

 

 こんな文章を書いていると、ただの浮気性の人みたいに思えるかもしれないが、そんなたいそうなもんではないと思う。心の中にいる、ずっと大切な人って言うのは、いてもいいのだと思う。今はたぶん好きではない。それならありだよね。

 

 だが、当時好きだったんなら、好きって言って付き合っておくべきだった。今になればそう思う。自分の気持ちを隠してもなにも得はしない。得どころか、後悔することばかりだ。上記の仕事の話もそうだが、自分の気持ちに嘘をついていてはダメな人間になってしまうということを痛い程思う事ができた、年末年始だった。

 

 取り返しがつかない事もあるけど、これから築いて行く未来の方がよっぽど面白い。これからは気持ちに正直に、まっすぐに生きて行きたい。

そんなに生み出せやしませんよ

 年末に大阪シリーズというのをやっていたんですが、それが途切れていることを思い出した。忘れていた訳ではないけど、、、いや、ただ忘れていただけです。

 

 さて、大阪シリーズ第3弾!あまり大阪とは関係ないけど、大阪である展覧会を見に行ったので、そのお話を。そう、下にリンクを貼ったこち亀展に言ったのです。これ、今月9日までやっているみたいですよ!

www.j-kochikame.com

 以前のブログで書いた事もあるけど、昔からこち亀が好きでね。展覧会があっていることを友人に聞いたので、心斎橋の大丸に足を運びました。

 

 私が百貨店に行く事なんて滅多にないので、ほんのちょっと気まずい思いをしながら化粧品売り場を通り抜けて、会場へ。いやあ、面白かったね。マンガの原画っていうのかな、そういうのがたくさん展示されていたり、両さんや中川など主要メンバーのキャラが分かるようなエピソードを集めたコーナーや、たまにあるジーンとくるような話が改めて解説されたりしていた。

 

 正直そんなに立派な展示ではないんだけど(笑)、原作者の秋本先生がどんな風に描いているのかということが想像できて面白かった。

 

 もともと両さんが単純に好きだったんだけど、こうして40年間連載をしてきた様子を振り返ると、秋本先生って本当にすごいなと思った。しかも、単行本200冊だよ。本当に途方も無い苦労があったんだろうな。

 

 しかも何かをこなすような仕事ではなく、一から何かを生み出すという作業をずっとやりつづけてきたことに頭が下がる。へぇっていう話題と、ハチャメチャでおもろい話、人情味のある話と、よくあんなに思い浮かんだもんだ。本当にすごい。

 

 僕はまだ20代のペーペーだけど、彼のように、何かを何十年にも渡ってやり続けたい。そう思ったのだった。まだ何をやろうかということも定まってないダメな僕だけど、頑張ろうと思います。では。

お正月って短くないですか?

 単純に思うのですが、お正月って短すぎる気がする。。。31日に大掃除して、夜中にカウントダウン、1日に家でぐうたらして、2日に初売りか初詣にでも行ったら、3日にはもUターンして、4日から仕事って感じの人多いと思うんやけど。これって、なかなか、ハードじゃないですか? まあ、もちろんこんなカレンダー通りの人ってそんなに多くないんだろうなと思うと、切なすぎてもう涙が出そうだけどね。

 

 と、こういう文章を書いているのも、その切なさでどうかなりそうだから。もっと、もんびりと正月気分を味わいたいなあ!という気持ちが体中からあふれているのであります。でも、これが現代社会というものなのかなあ。

 

 電通のまつりさん問題で、過労死については激しく言われ始めて、これはとても良い傾向だと思うんだけど、それに加えてもっとリフレッシュするための長期休みを増やそうという流れになってくれたら良いと思う。

 

 最近は、ロイヤルホストや、すかいらーくなどのファミレスが深夜営業をやめると言い始めたり、百貨店の伊勢丹が初売り商戦の時期を見直すと言い始めたり、とても良い傾向が進んでいるよね。これもいいきっかけ。

 

 単純に深夜営業が儲からなくなっているのかもしれないけど、こうやって店はいつも空いているのが当たり前ではないのだよという雰囲気が高まれば、正月や盆休みも昔みたいにもっと長くする事ができるようになるのかもしれないな。

 

 またまたぐだぐだすぎる文章になってしまって、反省の嵐なのですが、要するにもっと休みが多くていいんじゃないかなと思うんよね。僕の会社は休み事は悪だみたいな風潮が割と残っているからもう目も当てられないんやけど、それでも自分は休めるときはどうどうと休むようにするなど、ゆとり世代パワーを存分に発揮する事で会社にアピールして行かないといけないなと思う。

 

 人間らしく。頑張るときは頑張って、それ以外はゆるゆると。そういう風に生きて行きたいものだ。

故郷の人たちが僕にくれたもの

 あけましておめでとうございます。

 

 明日から、お仕事って人も多いと思います。正月って、あっという間に来て、あっという間に過ぎ去って行くんだね。本当につらい。こんなんだったら、もはや無くても良いのかもね???いや、それは言い過ぎかな。

 

 さて、この年末年始、大学時代のサークルの仲間や、地元の古い友人たちと日々ただただ飲み歩いていた。一週間も無い日々だったけど、普段の生活だと思い出す事のないような懐かしい思い出が、次から次に思い出される楽しい時間だった。過去の時間があるから、今のこの自分があるんだってことを改めて思い出す事ができた。

 

 古い友人たちと話していて、もっとも重要な情報として行き交うのは結婚についての話題。実は結婚していたんだという話や、今度結婚するんだという話、子どもが生まれたという話など。どれもこれも、おめでとうという気持ちがわいてくる反面、ちょっとさみしいなと思ってしまう。20代後半なんだし、結婚してても全然不思議ではないんだけど、どうもまだ飲み込めないんでいるんよな。

 

 自分はまだ結婚していないし、近いうちにその予定がないということもあるんだけど、古い友人たちが結婚するたびに、青春の日々が離れて行ってしまうみたいでとても切ない気持ちになる。でも、これが年を重ねるということなんだろうね。そう考えるとなんか尊いな。みんな、おめでとう。

 

 結婚の次に話題になるのは、仕事のことかな。「〇〇商事に勤めています!」と強い声で自信たっぷりに言う人も入れば、「思っていた仕事と違うし、転職したいな」とちょっと伏し目がちな彼や、「上司が細かい事ばかり言ってきて本当に面倒くさい」とここぞとばかりに愚痴をいう彼女。そして、自分の年収はこのくらいなんだよね、と嫌らしさしか感じさせないことをいう奴もいる。

 

 みんな、苦労しているみたいだ。順風満帆な人なんてほとんどいないのは分かっているけど、それぞれが仕事の事をうまいこと消化できていないなあと感じた。もちろん、僕も含めてだけど。

 

 年収やステータスなど、自慢合戦みたいになるのは、正直言って見苦しい。でもその自慢から、古い友人たちも何だかんだありながらもこんなに頑張っているんだと感じることができる。そうしたら、僕も負けずに頑張らないといけないなという思いが、心の底から浮かんで来た。

 

 今の職場やまわりの人たちと一緒にいても感じないこの感覚。これが、地元というものなんかな。古い考え方ではあるけれど、やっぱり錦を着て故郷に帰るということは大事なんだろうな。地元の人や両親の事があるから、恥ずかしい生き方をしていてはいけないなと再認識する事ができるんよね。故郷の人たちが僕にくれるのは、いつもこういう気持ちなんだよね。

 

 今の自分はだめだめだけど、少しでもマシな人生を歩めるように、日々生きていかないとな。とにかく、仕事をがんばるぞ。ほんとにがんばるぞ。

クリスマスは年末感を薄れさせてる

  12月28日になって、やっと年末だと感じてきた。意味もなく焦る気持ちになってきた。なんで、これまで年末だとあまり意識していなかったんだろうと考えたけど、それはたぶんクリスマスのせいだな。

 

  クリスマスは12月25日という年内ギリギリのところにあることで、年末の焦りを薄れさせて、12月をほっこりした期間にしてくれていたんだなあ。

 

  だから、クリスマスってやっぱり万能だな。いいやつだ。

 

  と、同時に寂しい気分だなあ。とりあえず年末の無駄な気の焦りは忘れて、、もう正月気分に切り替えようかなと思っとります。

 

  なんだか分からんけど、今日はちょっといい気分!