強くはなれなくても豊かに生きる

むっきーのブログ。心身ともにバランスを崩して、いろいろ駄目になりかけちゃいました。これからはもっとしなやかに、もっとしたたかに生きていこうと、考え方を変革中です。心優しい方々、私の成長を見守っていてください(^^)

故郷の人たちが僕にくれたもの

 あけましておめでとうございます。

 

 明日から、お仕事って人も多いと思います。正月って、あっという間に来て、あっという間に過ぎ去って行くんだね。本当につらい。こんなんだったら、もはや無くても良いのかもね???いや、それは言い過ぎかな。

 

 さて、この年末年始、大学時代のサークルの仲間や、地元の古い友人たちと日々ただただ飲み歩いていた。一週間も無い日々だったけど、普段の生活だと思い出す事のないような懐かしい思い出が、次から次に思い出される楽しい時間だった。過去の時間があるから、今のこの自分があるんだってことを改めて思い出す事ができた。

 

 古い友人たちと話していて、もっとも重要な情報として行き交うのは結婚についての話題。実は結婚していたんだという話や、今度結婚するんだという話、子どもが生まれたという話など。どれもこれも、おめでとうという気持ちがわいてくる反面、ちょっとさみしいなと思ってしまう。20代後半なんだし、結婚してても全然不思議ではないんだけど、どうもまだ飲み込めないんでいるんよな。

 

 自分はまだ結婚していないし、近いうちにその予定がないということもあるんだけど、古い友人たちが結婚するたびに、青春の日々が離れて行ってしまうみたいでとても切ない気持ちになる。でも、これが年を重ねるということなんだろうね。そう考えるとなんか尊いな。みんな、おめでとう。

 

 結婚の次に話題になるのは、仕事のことかな。「〇〇商事に勤めています!」と強い声で自信たっぷりに言う人も入れば、「思っていた仕事と違うし、転職したいな」とちょっと伏し目がちな彼や、「上司が細かい事ばかり言ってきて本当に面倒くさい」とここぞとばかりに愚痴をいう彼女。そして、自分の年収はこのくらいなんだよね、と嫌らしさしか感じさせないことをいう奴もいる。

 

 みんな、苦労しているみたいだ。順風満帆な人なんてほとんどいないのは分かっているけど、それぞれが仕事の事をうまいこと消化できていないなあと感じた。もちろん、僕も含めてだけど。

 

 年収やステータスなど、自慢合戦みたいになるのは、正直言って見苦しい。でもその自慢から、古い友人たちも何だかんだありながらもこんなに頑張っているんだと感じることができる。そうしたら、僕も負けずに頑張らないといけないなという思いが、心の底から浮かんで来た。

 

 今の職場やまわりの人たちと一緒にいても感じないこの感覚。これが、地元というものなんかな。古い考え方ではあるけれど、やっぱり錦を着て故郷に帰るということは大事なんだろうな。地元の人や両親の事があるから、恥ずかしい生き方をしていてはいけないなと再認識する事ができるんよね。故郷の人たちが僕にくれるのは、いつもこういう気持ちなんだよね。

 

 今の自分はだめだめだけど、少しでもマシな人生を歩めるように、日々生きていかないとな。とにかく、仕事をがんばるぞ。ほんとにがんばるぞ。

クリスマスは年末感を薄れさせてる

  12月28日になって、やっと年末だと感じてきた。意味もなく焦る気持ちになってきた。なんで、これまで年末だとあまり意識していなかったんだろうと考えたけど、それはたぶんクリスマスのせいだな。

 

  クリスマスは12月25日という年内ギリギリのところにあることで、年末の焦りを薄れさせて、12月をほっこりした期間にしてくれていたんだなあ。

 

  だから、クリスマスってやっぱり万能だな。いいやつだ。

 

  と、同時に寂しい気分だなあ。とりあえず年末の無駄な気の焦りは忘れて、、もう正月気分に切り替えようかなと思っとります。

 

  なんだか分からんけど、今日はちょっといい気分!

後悔はしたくないから

  たとえば、生まれた場所や時代や環境がありえないほど恵まれていて、生まれてから何も学ぶ必要がなく、何も働くことがなく、何もせずにただぼーっと過ごしているだけでいいとする。それだったら、私はただぼーっとした毎日を過ごすだけなのかな。

 

  たとえば、ただぼーっとしているだけで、周りのひとがにこにこ笑っていて受け入れてくれる世の中だったら、私はただぼーっとしているのかな。

 

  こんなことはありえないだろうし、わざわざ考える必要もないとは思う。

 

  けど、生きる目的を知らずに生きているっていうのも、これに近いことなのかなと最近思うようになった。正確には、生きる目的を「知らず」ではなく、生きる目的を「決めず」だと思うけどね。

 

  自分は恵まれていると言われるほどではないにせよ、そこそこの所得の平凡な家に生まれて、ぬくぬくと生きてきた。普通に高校大学と卒業させてもらって、普通に就職した。けど、これってどこも自分で決めてないと思うんよなあ。

 

  さすがに入る会社や大学は、自分で受けて、受かったので、少しは意思は働いているにしても結局は相手の基準なんよな。入れてくださったことは、大変ありがたいにせよ、それほど本気の覚悟があるわけでもないため、仕事はしんどいと思うことばっかだし。

 

  こういうことを書くと、若いからだと笑われるんだろうけど、自分では本気で悩んでるんよね。本当に、このままで良いとは思えないんよな。

 

  一人の人間として生きているからには、何かしら役割が与えられていると思うんです。だから、誰が他の人の真似をしたような、そしてみんなと一緒のような生き方に甘んじてはいけないと思ってしまう。でも、こう思うのも傲慢なんかな?

 

  よくわからんくなってきたけど、もっと本気で生きんといかんなと思う。本気で自分はこの人生で何をやり遂げるのか、決めんといかんな。そのためにも、もっと大胆に、いろいろと、チャレンジしていこうかな。

 

  こんなん自分で書いてても恥ずかしくなるけど、やっぱり、ちゃんと向き合わんといかんと思うんよね。後悔はしたくないからね。

大阪人っていうのはいったい何なんだ

 さあ、大阪シリーズ第二弾。久しぶりに大阪ミナミに行ったので感じたことをつらつらと。

 

大阪弁ってすごすぎ

 いっつも思うけど、大阪弁ってすごすぎ。キャッチの人たちの声の掛け方もすごい、どんどん引き込まれて行く。店で出会ったおばちゃんのパワーもすごい。もう「はい、ついていきます!」って言わないといけないなと思うくらいの吸引力。それに大阪の人同士の世間話なんて聞いていただけでも面白い。

 

 自分も大阪近辺に住んでいたことがあるので、聞き慣れていないわけではないけど、久しぶりにしっかりと聞くとすごいよなあ。全体的な大阪人っていうより、ミナミといわれるところにいる大阪人の話す大阪弁がすごいんよなあ。たぶん。

 

 もう、あれで一つの別の言語って感じなんよなあ。イントネーションというか、リズムというか、話の流れというか、すべてがまねできないんよなあ。聞いていて歌みたいなんよなあ。テレビに出てる大阪芸人が話しているようなわざとらしいやつともまた違う。京都や神戸の人の話し方とも違う。よく説明できんけど、聞いてて面白いんよなあ。

 

あれは一つの民族なのかも

 言葉だけでなくて、発想力というか、考え方?みたいなやつもすごいのかもしれんなあ。大阪人って、一つの民族みたいなもんなのかもね。(この前書いた民族学博物館の記事に引きずられているけど笑)

 

 ちょっと褒めすぎました。ですが、ああいう方言というか言葉って大切にせんといかんよね。地方によって話し方が違うのは、それぞれが何かしらの意味があってのことだしね。大阪みたいに元々話す人口の多い方言は残りやすいけど、もともと人口の少ない地域や劣等感をもっている地域の方言ってどんどん減っていくんだろうね。

 

 そんなのは、ちょっとさみしい。やっぱりなんとかして残していかんといかんのやなあ。前回の記事とけっきょくは同じような結末になってしまいましたとさ。

 

 けど、やっぱりとにかく言いたい事は大阪は面白いなということ。東京一極集中はさけられないけど、せめて大阪くらいは頑張ってほしいなと思うのでした。

クリスマスって誰のもの?

 メリークリスマス! きのう、クリスマスイブはごちそうを食べたり、大切な人と過ごしたり、皆さんそれぞれ楽しくすごしたことでしょう。僕もごちそう食べましたよ!たぶん! イブに限らず、クリスマスの時期の街の明るい雰囲気が大好きなので、最近はなんだかわくわくしていた。でも、それと同時に、得体の知れない違和感みたいなものも感じてしまうんよなあ。

 

 もともとはキリスト教のお祝いであるクリスマス。でも、ここまで世間一般で広まると、キリスト教だけでなく、季節の行事みたいなものになるんだろうね。さらには、カップルというか恋人達にとってはとても大事な日であるという思い込みみたいなやつに世間は支配されてるけど、それってなんだかなあという感じになる。

 

 そもそも誰が決めたのかな? と、いうより、なんでイエスキリストの誕生日が、カップルにとって大切な日なのかな? ようわからんなあ。アメリカの映画とかでもクリスマスイブは恋人とすごさないといけないわね!とか言ってるから日本だけの習慣でないことはわかる。まあ、たんにいいムードだからかなあ。

 

 カップルで幸せに過ごしている人はまあ楽しんでいるようだからいいとして、それ以外の人にとってはあまり喜ばしくないものであるみたいよね。下にリンクを貼ったような、クリスマス粉砕せよというデモとか、「クリスマス滅びろ」ってツイートする人とか過激な行動をとる人もたくさんいる。

「クリスマスを粉砕せよ!」渋谷でデモ 主催者が語る、そのオソロシイ野望

 

 確かに気持ちは分からなくもないけど、嫉妬でそんな過激な事を言わないでも、、、と思ったりする。

 

 一つ気になるのは、キリスト教を信じる人にとってクリスマスはとても大事なものであるんだから、それを踏みにじるようなことを言ってはいけないんじゃないかなということ。かたいことを言うのは嫌だけど、宗教も人種も習慣もどれもこれも多様性がある時代だからこそ、そういうものをいうときはほんの少し気をつけた方がいいと思うのです。

 

 クリスマスの問題では、傷つくとかあんまり関係ないかもしれんけどさ! けど、世界中で宗教が原因でいろいろなテロが起こっているし、やっぱりその辺の宗教観っていうのをもっと持つようにならんとなあと思うなあ。

 

 クリスマスって誰のものなんだろうなあ。たぶん、正解は、みんなのものってやつかな(笑) それぞれが、それぞれの形で楽しめばいいんよね。宗教的に関係がある人も、無い人も、カップルも、ぼっちも! 嫉妬したり、気に食わんとか言っても、仕方がないもんねー

 

 まあ、自分もこんなぐだぐだ考えんで、素直に祝って楽しまないといけないなと思ったのでした。よいしょ。

人間の種類ってたくさんありすぎ〜

久しぶりの大阪

 ちょっと前のことだが、久しぶりに大阪に行く機会があったのでそのときに感じたことを何回かに分けて書きたいと思う。

 

 今回初めて万博記念公園にまともに行った。あの有名な太陽の塔のあるところ。あいつをすぐ下から見上げてみた。やっぱりすごい。なんたる意味不明さ。あのなんとも言えない姿に多くの人たちが感動した。いや、感動というか、本当に意味不明すぎて打ちのめされてきたのだ。やっぱり意味不明なものって尊い。

 

民族学博物館に行って来た

 と、これは本題ではない。万博公園内にある、以前から行ってみたいと思っていた国立民族学博物館大学共同利用機関法人 人間文化研究機構|国立民族学博物館)、通称みんぱくに行って来た。そんなにメジャーなスポットではないのだけれど、学生時代にお世話になった教授から一回行ってみなさいと何年も前から言われていたので足を運んでみたのだ。

 

   ここは民族学の研究をする拠点であり、また世界中の民族に関する展示がある巨大なミュージアムみたいなところ。入場料は420円とリーズナブルだ。

 

 入るとまずオセアニア地方の民族に関する展示が目に飛び込んでくる。島々で生きてきた人々の独特の服や、大きな船、使っていた道具などが山のように展示されている。山のようにという、安直な表現をしてみたけど、本当にアホみたいにいっぱい展示されていた。よくこんなに集めたなあと感心してしまった。特に、もろそうな船でどのように海を渡って来たのかを解説したビデオや、宗教がどのように移り変わって来たのかなどの展示が目を引いた。

 

 いやいや、こんな風に書いていったらキリがない。まあ、要するに、同じようにアジア、アフリカ、ヨーロッパ各地方に関する展示が延々と続く。ちゃんと見て行ったら平気で何日も潰せそうな感じだ。

 

絶対にアフリカに行ってみたくなった

 その中でも、一番おもしろかったのが、アフリカのゾーン。特に、ザンビアの民族が仮面をかぶって踊る葬送儀礼「ニャウ」というものを紹介した展示。死者の霊を弔う役割のあるダンスらしいけど、その得体の知れなさがとてもいい。うまいこと説明できないので、以下を参照してください〜(ニャウとニャウ・ヨレンバ)。

 

 展示によるとその儀礼によって男たち、女たち、子どもたちが自分たちの役割を認識するんだって。仮面をかぶって踊るのは男たちだけど、彼らは自分たちが踊っている事は完全に隠す。そして女たちは、うすうす男が踊っていることを知っているが、知らないふりをして盛り上げる。子ども達はあれを正体不明生物が踊っていると信じるんだと。(ちょっと記憶があいまいだけど)

 

 そういうのを経て、それぞれが自分の役割を自覚する。男とは、女とは、大人とは、、、とか。日本でもこういう役割のある行事ってあるんだろうけど、あまり思いつかないな。なんか知らんけど、この展示がとても面白かったなあ。吉田憲司教授という方が監修している展示だったけど、この先生自体も踊ったり、仮面をつくることができるって書いてあって、そのあたりが興味深かったのかも。やっぱり、研究したり専門的に語るためには、自分もそのなかに入って行って一緒に染まって、一体化しないとダメなんだよなあ。

 

 と、自分の仕事に対する姿勢にも生かせそうに教訓を得ることができたのでした〜 それにしても、アフリカの展示はいろいろと面白かったな。まだ行った事ないけど、若いうちにアフリカに行こうと決意しました。

 

民族学ってたぶんとても大事

 さてさて、いろいろ書いてきましたが、民族学博物館に行って感じた事は、民族学ってたぶんとても奥深くて、そして大事だなということ。日本に関する展示のところにも行ったけど、日本人の自分でも知らないものばかりが置かれていた。外国の人と一緒にいって説明してよ〜と言われても、正直自分はほとんど説明できないだろうな。

 

 自分の民族を含めて、世界各地の民族というか慣習や生き方について、もっと知らないといかんよね。何もかもグローバル化と称する欧米化してしまっている世界。だけど、もっとそれぞれの民族のもつものを大事にして、それぞれの優れた点を互いに生かしていかないと、人類も長続きしない気がするんよな。

 

 人間なんて基本的にそんなに優れた生き物ではないんだろうけど、それぞれが長年蓄積してきた知恵を出し合っていったら、もうすこしだけはこの世の中は良くなるんだろうと思うんよなあ。

 

 そういう意味でも、ああいうすばらしい展示をしている民族学博物館には頑張ってほしいと思いました。というか、あそこで研究してみたいとさえ思いました(半ば本気で笑) では〜

心に温泉をつくりたい!

  週末は久しぶりに有名温泉地に行ってきた。温泉ってやっぱりすごいなあ。

 

  お湯が健康に良いとかそういうことは正直言って、実感したことがない。でも、温泉のあの雰囲気って本当に人を元気にすることができるんよなあ。

 

   湯に入っているみんなは、社会生活で背負っている肩の荷が一気に降りた時のような安堵の表情。そんなんを見て、いっしょに、極楽極楽とつぶやいてみたらなんか元気になれる気がする。

 

  普段、つらい気持ちになることも多いけど、そういう時は温泉に入ったときのような、あの気持ちを思い出して自分自身を癒せたらいいな。

 

  イライラしてばかりだと自分が損すると思うので、いつでもどこか自分だけの癒しをどこかに持ちながら生きていきたいと思う。

 

  心の中に、温泉地をつくらないとね!